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片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2001/1/23

 


創刊準備号

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      片山邦雄の「紆余曲折」    2001/1/23

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 今週の目次

◆連載コラム:第一回 「マハラジの一撃」

◆編集後記

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◆連載コラム:第一回 「マハラジの一撃 」



 ひとの人生は思いがけないことでその方向を変えることがある。そのときには気がつかなくても、あとになるとそれが途方もなく大きな出来事だったとわかることがある。ほんの些細なことが、ひとの人生に決定的な影響をあたえてしまうのだ。



  1994年10月、わたしは、ニューエイジや精神世界の先駆者として知られるラム・ダスのワークショップに参加した。このワークショップに参加したことで、わたしの人生は大きな変化を迎えることになった。 そのときラム・ダスは、『ビー・ヒア・ナウ』『覚醒への旅』に続く、彼の著作としては3冊目の邦訳にあたる『ハウ・キャナイ・ヘルプ?』の出版を記念して来日していた。



  御茶の水にある湯島聖堂で行われた彼の講演会には、老若男女、会場を埋め尽くすほどの聴衆が集う盛況ぶりだった。聴衆たちも、なんらかのかたちでニューエイジやヒッピー・カルチャーの影響を受けた人びとであることが、その思い思いのヘアスタイルや自由なファッションから想像することができた。当時、ラム・ダスはすでに60歳を過ぎていたが、湯島聖堂には彼のなごやかなスピーチとともに、まるで60年代にタイムスリップしたかのような懐かしい雰囲気が漂っていた。



  ラム・ダスのことを知らない方のために、簡単にその略歴を紹介しておこう。ラム・ダス、本名リチャード・アルパートは、1931年ボストンに生まれる。30歳にしてハーバード大学心理学教授に迎えられるが、意識を拡張させるサイケデリックスを用いた実験が問題になって、同僚のティモシー・リアリーと共に大学から追放される。これを機に、システムからいったんドロップアウトする。



  その後、60年代後半にインドで、彼の師となるマハラジ(ニーム・カロリ・ババ)と出会い、スピリチュアルな訓練を積む。帰国後、そのプロセスと方法を、ラム・ダスの名で執筆した『ビー・ヒア・ナウ』は当時のジェネレーションに熱狂的に受け入れられ、ヒッピー世代のバイブルとまで呼ばれるようになる。以来、30年に渡って、個人に内在する意識や心の可能性を提唱する一方、エイズや癌患者のターミナル・ケア、第三世界への医療援助、成長と奉仕などの分野でも独自のプロジェクトを実践してきた人物だ。



  日本でも、ニューエイジや精神世界と呼ばれるジャンルに関心をもつ人びとのあいだで、先駆者としてのラム・ダスの知名度は決して小さくないと思う。けれども正直に告白するが、わたしの場合、80年代に日本で翻訳出版されていたニューエイジ関係の専門書をいろいろと読んでみても、本当のところその思想にはかなり懐疑的だった。 わたしが気になったのは、ニューエイジが唱える主張やその認識のあり方ではない。また、よく言われるような一部の人びとの軽薄さでもない。というよりはむしろ、ニューエイジャーと呼ばれる人びとの生き方の姿勢だった。



  結局のところ、彼らは「意識の覚醒」や「悟りの可能性」といった美辞麗句で、誰の手にも届かない“絵に描いた餅”を語っているにすぎないのではないか。でも、じつはそれは売り文句に過ぎず、本当の目的はお金儲けや、そういった言葉で人びとをコントロールすることにあるのではないか。そういう疑いが消えなかったのだ。そうでなければ、60年代のアメリカで花開いたヒッピーカルチャーが、わずか10数年で、ヤッピーに様変わりするはずがない、と思っていた。


 どんなに高尚な思想であっても、それを語るだけならば誰にでもできるだろう。しかし、その思想を語ることと、その思想を生きることとはまったく別 問題だ。思想それ自体は、その思想を生きる人を得て、はじめて生きた思想になるからだ。



  ラム・ダスのワークショップに参加した理由も、じつはそこにあった。果 たして、四半世紀近く前に『ビー・ヒア・ナウ』を書いた著者が、まだそこにいるのかどうか、自分のこの目で確かめてみようと思ったのだ。ラム・ダスは格好の人物だった。なんといっても彼は、そのドラマティックな転身の仕方をはじめ、アメリカでも「ミスター・スピリチュアル」と呼ばれるような存在だったからだ。



  ワークショップは富士五湖のひとつ、山梨県の西湖湖畔にあるセミナーハウスで開かれた。期間は二泊三日。参加者およそ百人。主催者側はラム・ダスのほかに、現ハヌマーン・ファウンデーション代表のジャイ・ラクシュマン氏と瞑想指導などをおこなう2人のアメリカ人女性の計4人。それに通 訳として、日本にニューエイジ・サイエンスやトランスパーソナル心理学、ネオシャーマニズムなどを積極的に翻訳、導入してきたC+Fのティム・マクリーン氏と高岡よし子さんが加わった。



  ワークショップは、ラム・ダスの講話や質疑応答のほかに、ヒンドゥー教の伝統に基づいたマントラやチャンティングの練習、さらには参加者同士のつながりを深めるパフォーマンスをあいだにはさみつつ、進行していった。 ラム・ダスは、さまざまな参加者の質問に、ときにはユーモアを織りまぜながら答えていた。悩みごとを訴える人びとには、温かい言葉で励ます一方、生きる知恵のようなものを求める人には、自分の体験談をまじえながら平易な言葉で語りかけていた。



  彼の質疑応答には、ちょっとした特徴があった。質問者が話し、それが英語でラム・ダスに通 訳されると、彼は一瞬の沈黙をもってからその質問に答えはじめるのだ。彼はその沈黙のあいだに、質問の答えを考えているわけではないという。そうではなくて、彼は空(くう)のポイントに入ろうとしていて、そこから答えとして出てくるものを信頼していると語っていた。実際、ラム・ダスはどんな問いを発しても、ボールをキャッチし、そのボールを自分の深いところから投げ返すことができるような、一流のストーリー・テーラー(語り部)に見えた。



  ワークショップのあいだには、これ以外にも面白い出来事があった。会場となった広間には、ヒンドゥー教の神様などを祀った小さな雛壇が設けられていた。そこにはラム・ダスの師であり、20年以上前に亡くなったマハラジの写 真も飾られていた。



  あるとき、ラム・ダスは質疑応答の途中で、その雛壇についてこう言った。「これはプージャテーブルと呼ばれ、インドの寺院や家庭では、聖なる存在にものを捧げたり、生きているスピリットを想起したりするために用います。どうぞ、みなさんも自分の持っているものを自由に捧げてください。そうすればワークショップが終わって、お帰りになるときに、それは何か違ったものに変わっているかもしれません」



  ところが、ワークショップも二日目に入って本格化してくるにつれ、わたしの心にはだんだん言いようのない不安が募ってきた。何か具体的なきっかけがあったというわけではない。 しいて言えば、マントラやチャンティング(聖歌の詠唱)なるものに慣れていなかったということがある。


 ヒンドゥー教のマントラは、日本のお寺できくお経とも違い、単調なフレーズの繰り返しでおこなわれる。ところが集団でしばらく繰り返すうちに、そのマントラは独自のエネルギーを帯びはじめ、その場の空気を一変させる力を持ちはじめる。そのエネルギーに対して、わたしのなかの何かが抵抗を示したのかもしれない。



  最初のうち、それは心のなかに静寂さと不安が同居するような状態としてあらわれた。それから、だんだん意識が浮遊するようになり、自分をうまくコントロールすることができなくなっていった。かなり高揚とした気分を味わうこともあれば、一方では言いしれぬ 不安とでもいうべきものが襲ってきて、何をしていても落ち着かないのだ。とうとう二日目の夜になると、興奮して眠ることができなくなり、気がつくとふらふらと雛壇の前に来ていた。



 すると、わずかではあるが、その周りに何か温かいものが溢れ出ているのを感じたのである。奇妙な感覚だった。まるで暖炉の火をずっと穏やかにしたような温かさだった。わたしは何度も何度もその前へ行ったり、そこから離れたりを繰り返してみた。するとその前へいくたびに、やはり微妙ではあるが、静かなエネルギーとしかいいようのないものを感じて、心がホッと安まるのだった。



  そして、三日目の最終日がやってきた。結局、前の晩ほとんど眠れなかったわたしはますます不安定になり、苛立っていた。ジェットコースターにでも乗っているかのように、気分の高揚と落下が交互にやってくる。とうとう昼前になると、わたしは激しく落ちこみ、心が完全に閉じてしまった。



  よりによって、会場がいちばん盛り上がり、参加者が楽しそうにうちとけている最後になって、最悪の状態に陥ってしまったのだ。心をまったく開けない自分が惨めだった。実際、昼食もほとんど喉を通 らないほどだった。



  そのとき、わたしはやっとの思いで雛壇の前にいくと、ひとりでヘナヘナと座り込んでしまった。 そして、しばらく沈黙したまま、そこにあったマハラジの写真を見つめて、「この苦痛を取り除いてください」と必死になって叫んだのである。



 「ガツン!」。突然、衝撃が走った。何かが頭にぶつかり、その衝撃で一瞬、目の前が真っ暗になった。何が起きたのかわからなかったが、わたしの横に小さな二人の子どもがひっくり返っている。小学生の男の子と3〜4歳くらいの女の子。そして、その周囲に、大きな座布団が二枚、転がっている。 どうやら、その子たちが座布団でわたしの頭を思いっきり殴りつけたらしい。

 

  だが、本人たちは何も悪びれた様子もなく、不思議そうにきょとんとした目でわたしを見つめている。そのとき、なぜかわからないが、わたしの目から涙が流れてきた。うれしいとか、悲しいという感傷的な涙ではない。ただひたすら、どうしようもなく涙があふれてきたのだ。



  その後、座布団の一撃は、わたしとって様々なことを考えさせる体験になった。だが、そのことの意味をはっきりと理解するまでには、まだまだ長い時間が必要だった。


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◆編集後記


 今回は創刊準備号なので、わたしの人生の転機となった出来事のひとつを、連載第一回目の内容として掲載しました。創刊号以下、 このコラムではわたしのこれまでの経験を含め、スピリチュアリティをめぐ るさまざまなテーマを、忌憚 なくストレートに語っていければと思っています。

 

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□ 発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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