メールマガジン
片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2001/11/25

 


第9号

=========================================================

      片山邦雄の「紆余曲折」    2001/11/25

=========================================================

今週の目次

◆連載コラム:第十回 「きびしい恩寵 Fierce Grace」  
 
◆編集後記

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

◆連載コラム: 第十回 「きびしい恩寵 Fierce Grace」


  まだ日本じゅうが、9月11日にニューヨークで起きた テロリズムの衝撃からさめやらない9月下旬のある日、 わたしはアメリカに行く仕度にとりかかった。 渡米を思い立ったのは、インドから帰ってきて、 このコラムの九回目を書き終えた直後のことだったが、 ビザのことやら何やらであちこちと駆け回っているうちに、 夏が終わり、あっという間に数ヶ月が過ぎてしまった。


  このままだとアメリカに行くタイミングを失ってしまうかもしれない。 懸案の仕事や雑用が山のようにあったので、 すぐには出発できそうになかったが、 たまたま見たインターネットで、 最近出来上がったばかりのラム・ダスの半生を描いたドキュメンタリー映画が、 10月12日にサンフランシスコ近郊の映画館で上映されるという情報を見つけた。 しかも、その日はラム・ダス本人がその映画館に来て、 上映会に参加するというのだった。


  映画の上映会に間に合うように出発するというのは、スケジュール的にみれば、 かなりきつかった。でも、ラム・ダスが参加するというのだから、 なにか特別な話が聞けるかもしれない。 わたしは、もし出席する必要のあることならば、出席できるだろうと思い、 出発の準備をつづけることにした。 そして、雑用をひとつひとつ片づけ、上映会当日の10月12日に、 サンフランシスコ行のノースウエスト航空に飛び乗った。


 サンフランシスコの 空港に着いたのは、時差の関係で日付がもどり、 現地時間で12日の午前中だった。 それから、バスを乗り継いでゴールゲンゲイトブリッジを渡り、 サンフランシスコの北にあるマリンカウンティの町、サンラファエルに向かった。 機内で2時間ほど仮眠をとったものの、出発前の数日はあまり眠ることができなかった。 わたしは眠い目をこすりながら、ベイエリアに点在する美しい入り江の景色を眺めた。 そして、かなりくたびれた状態で、その日の夕方、 サンラファエルのダウンタウンにある映画館のチケット売場にたどり着いた。


「ラム・ダスの『きびしい恩寵Fierce Grace』のチケットをください」 「残念ですが、今日のチケットはすべて売り切れなんです」
 予想されたこととはいえ、一瞬、身体がこわばるのが感じられた。それで思わず、「今日、この映画を観るために日本から来たんです。なんとかなりませんか!」 と、わたしは叫んでしまった。


  チケット売場にいた女性は、上映時刻の直前になっても、 空席がある場合に限って、当日券を発売する空席待ちの列があるので、 そこに並んでいれば、もしかしたらチケットが手にはいるかもしれないと、 映画館の入口のほうを指さした。 その列にはすでに往年のヒッピーのような出で立ちの男女が並んでいた。 ふたりとも映画がはじまる2時間近く前からやってきている。 わたしは、わずかなの望みをつないで、その後ろに立った。


  上映時刻がしだいに迫り、人びとがチケットを手に会場に集まってくる。 1時間近く待っていただろうか。 そのとき、一台の白い車がスーッと現れて、映画館の前の路上に静かに止まった。 ドアが開くと、助手席に座っていた身体の大きな男性がドアをつかみながら、 ゆっくりと片足ずつ地面に降ろし、歩道に立った。 ラム・ダスだった。


  映画館に入ろうとしていた人びとや、空席待ちに並んでいる人のあいだから、 小さなどよめきが起こった。 駆け寄って挨拶に行く人もいる。 彼は、付き添いの人がトランクから出して広げた折り畳み式の車椅子に、 ゆっくりと身体をずらしながら腰かけた。


  このコラムの第一回目でも紹介したが、ラム・ダス(本名リチャード・アルパート)は、 ボストンのユダヤ人の家庭に生まれ、若くしてハーバード大学の心理学教授になり、 60年代前半まで、いわゆるエリートとしての人生を送っていた。 ところが、その後、大学でマッシュルームなどの向精神性物質を用いた心理学的実験をおこない、 それがきっかけとなって、人生のコースを大きく変えることになる。


  ティモシー・リアリーといっしょに、はじめてマッシュルームを摂取したとき、 彼は、自分が当時、研究し教えていたフロイトや行動主義の心理学が けっして扱うことのない領域が自分のなかにあることに気づいた、と語っている。 そして、その領域の地図を知っている人を探し求めて、インドに旅立った。


  インドで自らの師、ニーム・カロリ・ババに出会った彼は、 それまでの名前をラム・ダスに変え、メディテーションやヨーガを学んだ。 そして、アメリカに戻ってから、その経験を本に著す一方で、 死に逝く人びとを看取る「ダイイング・プロジェクト」や、 ホームレスや先住民を援助する様々な社会奉仕を行ってきた。


  そのラム・ダスを、4年ほど前に突然、脳卒中の発作が襲った。一命はとりとめたものの、一時はほとんど瀕死の状態だった。 言語機能にも損傷を受けた。頭のなかに、思考や概念は以前と変わらずあるのだが、 それを言葉にして表現しようとする脳の機能がダメージを受けたのだ。 したがって、彼の話し方は、言葉を探しながらのゆっくりとしたものに変わった。 脳卒中は、彼が自分の人生を賭けて演じてきた2つの役割、 すなわち、ヘルパー(助ける人)と文筆家という役割を、彼から奪ってしまったのだ。


  それは、いったい、どれほどの衝撃だっただろう。 彼自身、脳卒中のあとしばらくは自殺を考えるほどだったと語っている。 身体的な痛みと、人に依存して生きるほかはないということからくる心理的な痛み、 さらには、師にたいする信仰を失うというスピリチュアルな痛みを味わった。 彼は、師に出会ってからずっと、自分の人生が師の恩寵になかにあることを実感してきたという。 にもかかわらず、脳卒中の発作が彼の身に起こったのだ。


  それから、彼は病院のベッドに横たわりながら、長い時間をかけて、 まったく相容れないものに思えた、脳卒中の発作と師の恩寵とを ひとつのものに統合できないものかと試みた。 そして、ようやく、この出来事が自分にあたえてくれたものに気づいたのだという。 それは、人に助けられるという、社会における新しい役割と、 かつてよりも、彼のなかに存在するようになった沈黙の深みだった。


  いまの彼は、一人ひとりの人間のなかには、3つの「わたし」があると言っている。 それは、心理学で扱う「エゴ」と、その奥にある「魂」、 さらには一人ひとりの中心にある「第三のわたし」である。 彼のエゴにとっては、 脳卒中の苦しみがあまりに大きかったために、 ラム・ダス自身のアイデンティティは、エゴから魂へと押しやられたという。 彼は自分を、今生の肉体をもったひとつのパーソナリティから、 輪廻を繰り返すひとつの魂と見なすようになったのだ。 そして、自分の人生に起こった脳卒中の経験を、 「きびしい恩寵Fierce Grace」と名づけた。


  車椅子に乗ったラム・ダスは、手をふる人びとに微笑みをかえしつつ、 ちょうど列に並んでいたわたしたちの前をとおって映画館のなかに消えていった。 すると、その直後に、係員が一枚の封筒をもって現れた。 その日のチケットだった。 「並んでいたおかげで、ラム・ダスにも会えたし、絶妙のタイミングだったね」 とわたしは空席を待っていた人びとと喜びをわかち合いながら、映画館にはいった。


  映画の上映が終わると、ラム・ダスは会場の人びとが寄せる質問にたいして ひとつひとつ、ていねいに質疑応答をはじめた。 そして、9月11日のテロ事件について問われたときに、彼はこう言った。


「わたしは、自分を襲った脳卒中の発作を『きびしい恩寵』と考えるようになりました。 同様に9月11日の事件も、我々の文化に起きた発作とみなすことはできないでしょうか。 そして、この事件を、『きびしい恩寵』にする道を見出すことはできないものでしょうか」



 
 
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


◆編集後記


 長らくお休みして申し訳ありませんでした。 というわけで、いまアメリカに来ています。 この一ヶ月間、ラム・ダスの講演を聴くために、 アメリカ各地を回っています。


 先週は、サンフランシスコの近郊で行われた、 社会活動家によるワークショップに参加しました。 そこでも、やはり、中心議題は、今回のテロ事件でした。 この事件が、アメリカ人に与えた衝撃の深さは、予想以上のものがあります。

 
  空港のセキュリティチェックがきびしいのはやむをえないとはいえ、 町のなかでもIDの提示を求められる機会が増えました。また 、あるモーテルに宿泊しているときには、 となりの宿泊客から、外国人であるということで 身分証明書を見せろと言われたこともありました。 もちろん、町では星条旗がいたるところでひるがえっています。


  しかし同時に、アフガニスタンに報復攻撃をおこなうアメリカ政府にたいして、 危機感を表明するアメリカ人にも数多く出会いました。 タリバンやビン・ラディンを放っておくことはできないが、 アフガニスタンの子どもたちには罪の意識を感じるアメリカ人も多いのです。


  今回のテロ事件のような出来事にどう反応したらよいのか、 その熱心な話し合いを聞きながら、 わたしは6年前に日本で起きたオウム事件を思い出しました。 あの事件から日本の社会はなにを学び取ったのでしょうか? また、あの事件のトラウマはどのように解消されたのでしょうか。このコラムでも、折りをみて、そのことについて触れてみたいと思います。




〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ 出版のホームページをご覧ください。

http://www.pawanasuta.com/


-------ご意見・ご感想はこちらまで!--------------------------


□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
□関連ウェッブサイト http://www.pawanasuta.com/katayama.html
□発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」  http://www.mag2.com/
□マガジンID 0000058263


---------------------------------------------------------


●無断転載・プリントアウトの配布などはご遠慮ください。
●転載・掲載の際は事前にご連絡ください。


---------------------------------------------------------