第10号
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片山邦雄の「紆余曲折」 2001/12/7
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今週の目次
◆連載コラム:第十一回 「サンデイ・サッサン」
◆編集後記
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◆連載コラム: 第十一回 「サンデイ・サッサン」
サンフランシスコの北にあるサンラファエルという町に、 「オープン・シークレット」という名前の本屋がある。
ここはスピリチュアリティに関する本を専門にしている本屋なのだが、
お店の奥にかなり広い瞑想室があって、 キリストや仏陀をはじめ、古今東西の聖者や聖人たちの像がところ狭しと置かれ、
曼陀羅なども壁に掛けられている。
床のじゅうたんにはクッションが無造作に置かれ、 本屋に来たひとが好きなときに入って、そこで勝手に瞑想したり、
本を読んだりすることができる。さらに、別の広い部屋には、 大きなカウンターと椅子やテーブルが用意され、
コーヒーやお茶を飲んでくつろぐこともできるようになっている。
2年前に初めてこの本屋に来たときには、 書棚にならぶ本の種類の豊富さばかりではなく、
その空間の広がりや自由な雰囲気に、 日米におけるスピリチュアルな関心の差を見せつけられたような思いがした。
だからインターネットで、 ラム・ダス(注:はじめてのかたは第10回のコラムを参照してください)が
今年の夏からここで月1回、 「サンデイ・サッサン」をはじめるという情報を見たときには、
アメリカに行ったら参加してみようと思っていた。
「サンデイ・サッサン」は、日曜の午後1時からということだった。
少し早めに昼くらいに行くと、人びとが集まりはじめたところだった。
椅子が全部で7、80席ほどある。 一番の前の2列は座椅子が置かれ、床に直接座るようになっている。
人によっては自分用のクッションを持参したり、 水筒に専用の飲み物をいれてもってきている人もいる。
わたしは、前から2列めの座椅子に席をとった。
ミュージシャンがふたり、オルガンと太鼓をたたいて音あわせをしながら、
キルタン(インドで人びとが神に捧げる歌)を歌っている。 1時前になり、白いシャツにえんじ色のセーターを着たラム・ダスが
車椅子に乗って会場の入口から現れた。 椅子席のわきを通ってゆっくり前に進み、ミュージシャンの横に車椅子をとめた。
そして、しばらく沈黙してから、静かに語りはじめた。
「はじめて来たひともいると思うので、説明しますが、 この会は沈黙をベースにしています。
そして、その沈黙は、みなさんからの質問によって中断されます。
どんな質問をしてもかまいません。それはわたしたちみんなの質問なのです」
しばらく沈黙が続いたあと、後ろに座っていた男性が手をあげた。
「ラム・ダス、『ビー・ヒア・ナウ』には、あなたが、 あなたの師であるニーム・カロリ・ババとはじめて出会ったときに
泣きだしたと書かれていました。 あなたがどうして涙を流したのか、教えてくれませんか」
ラム・ダスは少しのあいだ、沈黙していた。 そして、「みんな、本で読んで知っていることかもしれないけれども・・・」
と前置きしながら、次のような話をはじめた。
「わたしがはじめてインドに行ったとき、友人のデイビットといっしょでした。
彼はそれまでゼロックス社の副社長をしていたんですが、 ランドローバーで東洋をまわろうと私を誘ったのです。
最初はイランからアフガニスタン、インド、ネパールと回りました。
そしてネパールで、わたしは、いかにもサドゥー(インドの放浪する行者)
のような格好をした西欧人の若者に出会いました。 実際には、彼はカリフォルニアのラグナ・ビーチ出身のサーファーだったのですが(笑)。
彼とわたしはインドの仏教寺院をあちこちと歩いて回りました。
わたしは仏教の寺院が大好きでした。とてもクリーンな感じがしたからです。
それに対して、ヒンドゥー教の寺院というのはどうも苦手でした。
ヒンドゥー教の寺院は、拡声器から流れる大音響とか、 カレンダーに描かれるようなけばけばしい絵画といった印象が強かったからです。
ところがある日、この若者がビザの件で手紙を受け取ったんです。
彼はヒマラヤの近くにいる、彼の師(グル)に会う必要が出てきたと言い出しました。
しかも彼は、ランドローバーでそこまで行こうと言うのです。 その頃デイビッドは、ガイドをしていたインド人にランドローバーをあずけて、
日本に行ってしまいました。デイビッドは、 ラム・ダスだけはその車を使ってもいいという指示を残していったのです。
インドでランドローバーといえばかなりの高級車です。 わたしは借りたくなかったのですが、
しぶしぶ借りてその若者といっしょに丘陵地まで行くことになりました。
彼は、わたしには車の運転をさせてくれなかったので、 わたしは不機嫌な気分で助手席に座っていました。
ある晩、わたしたちは、彼の知り合いの家に一泊しました。
夜になってわたしはトイレに行きたくなり、戸外に出ました。 すると満天の星空でした。その星を見ているうちに、
わたしは、半年前に亡くなった母のことを思い出しました。 亡くなった母がとても近くにいるように感じられたのです。
そして、寝室にもどりました。
翌日、わたしたちは丘陵地に向かいました。 そして、ある道沿いの小さな寺院の近くで、車をとめました。
いっしょに旅をしていた彼は、涙を流していました。 彼のグルがその寺院の近くにいたからです。
その人物は岩だらけの斜面を登ったところにいるようでした。 彼は、わたしを置いて、そこに駆け上がっていきました。
一方、このわたしは、不機嫌な気分のまま車のなかに残っていました。
ヒンドゥー教のグルになど会いたくなかったからです。 しかし、車のまわりを取り囲んでいたインド人たちが、
わたしにも会いにいくようにと勧めます。 ついに、わたしの好奇心が頭をもたげて、登っていくことにしました。
坂を登っていくと、毛布をまとった男が、人びとにとりまかれて座っていました。
わたしの友人は、腹這いになって地面に横たわり、その男の足に触れています。
わたしは絶対に、あんなことはしないぞ、と思いました(笑)。
わたしは、ポケットに手をつっこんで、 まるで人類学者のようにその場の状況をながめていたのです。
すると、毛布をまとった男が、そばに来るようにわたしを呼びました。
彼は、通訳をとおして、こう言いました。「大きな車で来たね」。
わたしにとって、その車はかんしゃくの種だったので余計不愉快になりました。
「そうだよ」とわたしはぶっきらぼうに答えました。 すると彼は、「その車をわしにくれんか?」と言ったのです。
ディビッドの車で、しかもわたしが責任を負っている車をです。
そんなことできるわけがありません。
ところが、地面に腹這いになっていた友人が顔を上げて、 「マハラジ、お望みなら車はあなたのものです」と言ったのです(笑)。
冗談じゃないと、わたしは頭が沸騰しそうになりました。 まわりにいたインド人が、わたしを見て大笑いしています。
毛布をまとった男は、わたしたちを寺院に行かせて食事を出すようにと指示をしました。
彼は、人びとに食べ物をあたえるのが大好きでした。
しばらくして、わたしはまた彼のそばに呼ばれました。 彼はわたしを見ると、「ゆうべは星空の下にいたね」と言いました。
まあ、これはそんなにたいしたことではありません。 だって、インドでは多くのひとが、夜は星空の下にいますからね(笑)。
すると彼は、続けて、「母親のことを考えていた」と言ったのです。
かつて心理学者だったわたしにとって、これは、ちょっとしたものでした。
いったい彼は、どうやって、昨晩、わたしが考えていたことを知ったのでしょうか。
さらに彼は、「おまえの母親は昨年死んだ。お腹が大きくなって、
スプリーン(脾臓)が原因で死んだ」といったのです。 彼の言葉はすべてヒンディー語でしたが、「スプリーン」という単語だけは英語でした。
わたしは、この事態に面食らいました。 この人物は、わたしの心のなかにあることを、みんな知っていたのです。
かつてわたしは、わたしのことを全部知っているならば、 ひとは決してわたしを愛さないにちがいないと思っていました。
それで、わたしはあまりに恥ずかしくなって赤面してしまい、下を見ていました。
ふと、わたしが顔を上げると、彼の顔がすぐそばにあります。 そのとき彼は、わたしを本当に愛にあふれたまなざしで見つめていました。
この瞬間、わたしのせわしないマインドの動きがとまり、 わたしのなかで、ハートとハートのつながりによる、いわば再生が起こったのです。
彼はわたしのすべてを知っていながら、わたしを愛していたのです。
それは無条件の愛でした。
こういう愛は、ほとんどのひとがもっていないものです。 なぜなら、ほとんどのひとは、互いに条件を付けて愛し合っているからです。
というのも、エゴは条件をつけて愛するものだからです。 相手があなたを傷つけたり、脅かさないかぎりにおいて、エゴは愛するものだからです。
それに対して、魂の「私」、第三の「私」だけが無条件の愛をあたえることができます。
この無条件の愛が、わたしを完全に変えてしまったのです」
しばらくすると、わたしの後ろにいた中年の女性が手をあげた。
彼女は自分の人生がいかに苦しみに満ちているかを、涙声で語り始めた。
その話は、ふたりいる息子のひとりがアルコールで、 もうひとりはドラッグで病気になり、身をほろぼしてしまったというものだった。
ラム・ダスは少し沈黙してから、こう語りはじめた。
「あるとき、わたしの師に会いに、インド人のまだ若い女性がやってきました。
『マハラジ、わたしの人生は苦しみに満ちています』 彼女は自分の身に起きた数々の不幸をあげました。
まわりにいる人びとはみんなあまりのことに、この女性に同情しました。
すると師はこう言ったのです。 『わたしは苦しみが好きだよ。苦しみはわたしを神へと近づけてくれる』
わたしの肉体は脳卒中の発作によって数々の苦しみをもちました。
まわりの人はみんな、わたしのことを、『かわいそうなラム・ダス』と思っていました。
わたし自身もそう思いました。 しかし、魂の「私」はそうは思いませんでした。
ただ、エゴの苦しみを目撃して、『彼は苦しんでいる』と思うだけです。
ですから、魂の「私」に自分を同一化すると、痛みそのものはありますが、
それはもはや苦しみではなくなります。 わたしはこの発作による苦しみによって、エゴから魂へと移行せざるをえなくなったのです」
オルガンと太鼓が鳴り、キルタンがはじまった。 歌手の男性は伸びやかな声で
「シーター・ラーム(ラーマ神とその妻シーターの名前)」と繰り返している。
彼が一節を歌うと、会場の人びともそれに続けて歌いはじめた。
歌っていると、次第に、わたしのなかでマインドの動きが静まり、
内なる光にあふれた空間へと意識がのぼっていくような気がした。
その後、会場からはいくつもの質問が寄せられた。 そして、あたりがもう薄暗くなる夕方になって、「サンデイ・サッサン」は終わった。
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◆編集後記
先日、メイフラワー号でやってきた人びとが、 最初にアメリカ大陸に上陸したプリマスというところに行ってきました。
ボストンからバスで1時間ほどの、大西洋岸の静かな町です。 海岸には、1620年当時、彼らが海を渡ってやってきた船が
再現されて浮かんでいましたが、その小ささは想像以上のものでした。
あの時代に、まったく未知の大陸にむかって、 これほど小さな船で大西洋を渡ってくるとは、
よほどの思いに突き動かされていたのでしょう。 あるいは、一種の絶望感があったからこそ、
もう前に進むしかないという、 常識から見れば無謀とも思えるような旅に身をあずけたのかもしれません。
大学の教授をやめてインドに旅立ったラム・ダスは、 師であるニーム・カロリ・ババに出会う前、深い絶望感にとらわれていたと、
『ビー・ヒア・ナウ』には書かれています。 探し求めていた答えは見つからず、
かといって、そのままアメリカに帰ることもできなかったのです。
ですから彼が、西欧人の若者と歩いてインドをまわろうと決意したときは、
極度の絶望感に後押しされていたのです。 そう考えると、もう前に進むしかないという絶望は、
わたしたちにとって、夜明け前の一番寒くて暗い時間のように、
日の出の前触れなのかもしれません。
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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ
出版のホームページをご覧ください。
http://www.pawanasuta.com/
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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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□マガジンID 0000058263
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