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片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2002/1/8

 


第13号

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      片山邦雄の「紆余曲折」    2002/1/8

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今週の目次

◆連載コラム:第十四回 「ニュヨーク9.11」  
 
◆編集後記

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◆連載コラム: 第十四回 「ニューヨーク9.11」



 10月下旬、シカゴを発った旅客機は、 まもなくニューヨーク上空にさしかかろうとしていた。 窓側に席をとった乗客の多くが、 徐々に近づいてくる摩天楼をじっと見つめている。 かつて世界貿易センタービルが立っていた場所に目をやると、 そこから、ほんのわずかに煙が燻っているのが見えた。


 
 マンハッタンにあるグランドセントラル駅の構内には、 行方不明の家族や知人の消息を求めて、 おびただしい数の写真やメッセージが貼られたボードが立っていた。 また、町の消防署の前では、ロウソクとともに、 おそらくは亡くなったのだろうと思われる、 レスキュー隊の人びとの写真が飾られている。


 
  家々や店のショーウィンドー、車に掲げられた星条旗を見るたびに、 あの事件がアメリカの人びとにあたえた衝撃の大きさを感じずにはいられなかった。 ラム・ダスの講演でも、質疑応答の時間になると、 必ず、9月11日の事件に対するコメントが求められた。


 
  ラム・ダスは、まず自分の身に起きた脳卒中の発作と関係づけながら、こう語った。


「わたしは非常に恩寵をあたえられているという感覚を持って、 これまでの人生を生きてきました。そして、そのときに、発作が起きたのです。 わたしは病院で、マハラジの恩寵と発作の2つを考えつづけました。


 
  医師や看護婦、友人たちはとても深刻な顔をしていました。 みんな『ラム・ダスは発作を起こしてしまった』と言っていたんです。 それで、わたしも深刻に考えるようになりました。


 
  わたしは、自分がもはや師の恩寵のもとにはない、と思うようになりました。 そして、信仰を失ったのです。 病院で信仰を失ったときは、ほんとうに冷たい場所にいました。 発作を起こしたなかでも、それが最悪の出来事でした。


 
  わたしは、マハラジの恩寵と発作を見比べながら、 発作がいかにして恩寵でありうるかということを考えはじめました。 そして、その2つをひとつにする信仰を見いだしたのです。


 
  同様に、わたしはこう思いました。 9月11日の事件は、われわれの文化に起きた発作ではないか、と。 わたしは、自分に起きた脳卒中の発作を、『きびしい恩寵』にする道を見つけました。 それで、いま、私たちの一人ひとりが同じ道を見いだすようにと願っています」



  これまでのコラムでも何度か触れてきたように、 ラム・ダスは発作によって魂のレベルへと押しやられたという。 というのも、エゴにとって、その状況はあまりに辛かったからだ。 同様に、ラム・ダスは、テロ事件という発作によって、 文化が、エゴから魂のレベルへと移行することはできないものかと問う。



  新聞やテレビで人びとの表情を見ていると、 多くの人たちが、「いったい、私たちはいま、ここで何をしているのだろう?」と 問いはじめるようになってきている、という。 おそらく、いままで当たり前のものとして機能していた社会システムに亀裂が入り、 もう一度、自分が何のためにこの世界で生きているのかという実存的な問いを、 発しはじめているのだろう。



  確かに、講演会場に来ているアメリカ人の多くは、 深いとまどいのなかにいるように感じられた。 ラム・ダスに対する質問者のなかにも、 タリバンやテロリストにたいする怖れを表明するひともいれば、 アメリカの報復攻撃が正しいのかどうか悩んでいるひともいた。



  ラム・ダスはつづける。 「私たちがこの状況でできることは、ピースフルであるということです。 自分自身のなかに平和をもつこと、そして、 あなたやあなたの周囲に平和をもつということです。 なぜなら、外界の平和というのは、内面の平和によってのみ保たれるものだからです」



  そして、アメリカ政府の対応については、怖れで反応することを戒める。 「政府は、(報復攻撃をやめて)静かに座っているべきでしょう。 反応する必要はないのです。彼らが反応するのは、エゴが怖れをもっているからです。 強ければ反応はしません。私たちも反応するのをやめなければなりません。 それがスピリチュアルな力なのです。



  わたしは、社会を変革するための基本となるものは、 政府とか教会とか学校といったシステム(制度)ではなく、 人間のこころだと思っています。 私たちが物事を平和にしたければ、自分自身の平和と向き合わねばなりません。 そうすれば、人から人へ、ハートからハートへ、魂から魂へと 平和が伝わっていくのです」



  かつて、ラム・ダスがインドにいたときに、 バングラディシュで危機的な状況が起き、 子どもたちが大勢死に瀕したことがあった。 ラム・ダスはすぐにでも何かしなければならないと思い、 感情的になって苛立っていた。



  すると師はこう言った。 「すべてが完璧であるということがわからないのか、ラム・ダス」



  最初ラム・ダスは、子どもたちが死にかけているという恐ろしい状況のなかで、 いったいどうしてそんなことが言えるのか信じられなかった。 しかし彼は、師が本当に慈悲深い存在であるのをよく知っていた。 それで、彼は、自分がエゴの反応的なパターンにはまりこみ、 宇宙の深い知恵のことを忘れてしまっていたということを思いだした。 あまりの事態に気が動転し、 苦しみや死とともに存在する宇宙の神秘を忘れてしまっていたのだ。  



  ラム・ダスは、今回の事件についても、魂にたたずんで目撃することを強調する。 「わたしは、あるひとつのスタンスをもとうとしています。 それは、神のおこなう、もろもろのことを目撃しようとするスタンスです。 9月11日の事件は、私たちが一歩後ろに下がって文化を見るチャンスをあたえています。 私たちは目撃しないといけません。自分自身と自分たちの文化と、そして世界を」



  事件の直後から、ラム・ダスのところには、 これからどうすべきか、という問い合わせのメールや電話が殺到した。 9月15日午後6時45分、ラム・ダスは、自分のウエッブサイトにあるBBSに、 以下のようなメッセージを掲載した。



「ここ数日、大勢の人びとが電話やメールを送ってきて、 今週起きた出来事についてどのように対応すべきか、 わたしにたずねてきましたが、 実のところ、わたしにはそれにたいする答えはありません。(中略)



  これは、本当に、私たちの文化にとって、深いトラウマの瞬間です。 私たちの悲しみや痛みが、私たちを神へと近づけてほしいと思います。 そして、それを通して、 私たちの個々の違いを背後ですべて結びつけている一者Oneへと、 私たちがもっと深くアイデンティファイするようになっていけたらと思います」

ナマステ  ラム・ダス

 
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◆編集後記



 マンハッタンの東にロング・アイランドという半島があります。 そのロング・アイランドの東端にあるイースト・ハンプトンという町で ラム・ダスの講演があったのですが、やはり、質疑応答では、 9月11日のことが話題になりました。 そのなかで、「私たちの社会がトラウマをもった患者であるとするならば、 あなたはどういう処方をしますか」といった質問がでました。



  するとラム・ダスは次ぎのように答えました。 「とても興味深いことがあるんですが、わたしは発作を起こして、 治療と治癒のちがいがわかったんです。 治癒は、ひとを一者(神)へと連れていきます。 最愛の存在へとあなたを近づけます。それが治癒です。 治療というのは、元の状態に戻すことにすぎません。 わたしは、発作から治療されることを望んではいません」





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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ 出版のホームページをご覧ください。

http://www.pawanasuta.com/


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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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□マガジンID 0000058263


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