第15号
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片山邦雄の「紆余曲折」 2002/2/7
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今週の目次
◆連載コラム:第十六回 「覚醒意識Awareness」
◆編集後記
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◆連載コラム: 第十六回 「覚醒意識Awareness」
われわれは幻影のなかで生きている。
見かけの世界で生きているのだ。
しかし、あるひとつのリアリティがあって、
われわれはみんなそのリアリティなのだ。
そのことが理解できれば、自分が無であることがわかる。
無であるというのは、すべてであるということだ。
ただ、それだけのことだ。
かつてラム・ダスは、 「あなたは究極的なリアリティがあるということを信じているのか?
もし信じているのなら、 それは私たちの普通の現実とどのように違うのか?」と問われ、
チベット仏教のカル・リンポチェの、上の言葉を引用しながら、
こう説明したことがあった。
「みなさんは生まれてから成長すると、 自分のからだや物質といったこの現実を、
非常に完全なリアリティとして経験するようになります。 深い睡眠状態に入り、こういった物質的次元がすべて消えたときですら、
あなたは自分の通常の意識状態をリアルなものとしています。 しかし、覚醒のプロセスというのは、
この物質的現実が唯一のリアリティではない、 ということに気づくことなのです。
とくに、自分のパーソナリティとは異なる、 魂というアイデンティティの性質に気づきはじめます。
あなたが、このような別のリアリティにはいっていくと、 すぐさま、別
の意識の次元が、これ(物質的次元)と同じように リアルであることがわかります。
そして、この物質的次元は、もはや絶対的なリアリティではなく、
相対的なリアリティとなるのです」
ラム・ダスによれば、 リアリティには様々なレベルがあり、
われわれの意識はそのなかを動いているという。 しかし、ふだんわれわれの意識は、
そのうちの一つか二つのレベルにあっているだけで、 他のレベルを自覚化することはあまりない。
たとえば、そのことのひとつの比喩として、 ラム・ダスは、次のように語る。
「たとえば、あなたが、ひとつのチャンネルを通してわたしを見ると、
頭のはげた年配の紳士を見ることができます(笑)。 また、もうひとつのチャンネルを通
して見ると、温厚そうな教師がいるのが見えます。 それは、わたしのパーソナリティとか社会的な役割といったものです。
さらに、もうひとつチャンネルを動かすと、星座は牡羊座、などといった
神秘的なアイデンティティが見えます。 もうひとつ動かすと、みなさんはわたしを、“仲間の魂”として見ます。
さらに、もうひとつ動かすと、みなさんは、あなた自身のなかにいる“あなた”として見ます。
すべてはひとつです。 そして、もうひとつ動かすと、すべては消えてしまいます」
ラム・ダスによれば、このような経験は何も特別なことではない。
たくさんの人が通常の意識から出て 別の意識状態に入る経験をよくしているという。
ただし、そういう経験は普段はそれを理解する文化的な枠組みがないために、
幻覚とか、夢とか、狂気などといったものとして処理されてしまうというのだ。
「私たちが覚醒したときは、異なる意識の状態を、 物質的世界と同じようにリアルなものとして認識しはじめます。
それによって、あらゆるレベル、あらゆる世界が、相対的なものだとわかります。
そして、最終的には、完全なリアリティというものは、 ニルバーナと呼ばれるところ、一者、あるいは、
形あるものと形ないものがひとつになる場所である、 ということを理解するようになります。
そこだけが唯一リアルな場所なのです。 あなたが無であって、すべてであるところです。
そこでは、分離した実体として存在していた“あなた”は消滅します」
昨年11月、アメリカにあるユダヤ教のあるグループが、 瞑想に関する4日間のワークショップをおこなった。
講師のひとりとして、そのワークショップに呼ばれていたラム・ダスは、
ニューヨークにある古いユダヤ教会に集まった人びとを前に、こう語った。
「わたしは、様々な場所でスピリチュアルな訓練の井戸を掘ってきました。
仏教徒は、マインド(心)についての非常にすぐれた地図をもっているので、
わたしは仏教の瞑想、なかでもヴィパッサナを学び、 それから、チベットのゾクチェンを学びました。
わたしの意識というのは、何かを聞いたり、見たり、考えたりというように、
いつも、あちこちへと動きまわっています。 しかし、わたしの覚醒意識(Awareness)というのは
その中心にあって、つねに静かで、穏やかです。 わたしが瞑想で一点に集中すると、
意識が「バクラバ」のように、階層状に広がっていることがわかります
(注:バクラバとは、蜂蜜やナッツなどが細かい層状に何重にも重ねられたお菓子のこと)。
たとえば、私たちは、同時に3つのレベルを持って存在しています。
ひとつはエゴで、もうひとつは魂で、 三つめが、私たちみんながひとつの覚醒意識として存在している場所です。
私たちはみんな、個々の覚醒意識であると同時に、 ひとつの覚醒意識の部分でもあります。
しかし、そこに入っていくことはとても難しいことです。 というのも、この覚醒意識というのは、神の内側に存在するものだからです」
ここで語られている覚醒意識というのは、 第十二回のコラム「魂のパースペクティブ」で触れた、
三番の内容とも重なる。 そして、もし、私たちがひとつの覚醒意識の部分であるならば、
そこでは、私たちはひとつにつながっている、 ということを象徴するような、あるエピソードがある。
インドのブッダ・ガヤーで、 ラム・ダスが西欧人のグループと瞑想の訓練をしていたときのことだ。
グループにはたくさんの子どもや大人がいて、 彼らは全員で、ラム・ダスの師に会いに行こうとした。
そのなかには、イギリスからバスをチャーターしてインドに来ていた女性がいて、
33人の西欧人とバスの運転手1人の総勢34名で、 彼らは出かけることになった。
途中で、バスはアラーハーバードのそばを通過することになった。
アラーハーバードでは、その直前に、インドで12年ごとに開催される
盛大なクンバ・メーラ祭がおこなわれたばかりだった。 クンバ・メーラの場所となる河の合流地点には、
インド中のあらゆる聖者がやってくる。ラム・ダスは、 デリーに向かう途中で起きたハプニングについて、こう語った。
「ブッダ・ガヤーを出発してから、私たちは、 ある選択をしなければならない場所にさしかかりました。
バスに乗っていたダニー・ゴールマンが、 『右に曲がれば、メーラの場所を通
る』と言いだしたのです。 ダニーはそこに行ってきて、大勢のひとがいたと主張しました。
しかし、わたしは、もうメーラは終わっているので、 誰もいないだろうと反論しました。
さて、わたしはバスに座って、どうすべきか決めなくてはならなくなりました。
そのままデリーに行けば、快適なホテルとベッドがあり、食事もとれます。
一方、メーラの場所は、ひとけのない空っぽの場所にすぎません。
しかし、結局のところ、ここにいる人たちはスピリチュアルな旅に来ているわけで、
そこはインドでも非常に聖なる場所でした。 わたしは、行かなくてはならない、と思いました。
それで、運転手に右に曲がるように指示しました。 わたしが決定を下したのです。
私たちがそこに着くと、 その広大な敷地には、50人ほどのひとがいました。
すると、誰かが、『マハラジがいる』と言ったのです。 見ると、マハラジと帰依者のひとりが、バスのすぐそばを歩いています。
私たちはみんなバスから降りて、マハラジに挨拶に行きました。
マハラジは、後からついてくるように言います。 彼らはリクシャー(インドの人力車)で来ていたので、
私たちは大きなバスでその後ろをついていきました。 しばらくすると、ある家に到着しました。
すると、その家のマザーがこう言ったのです。 『マハラジは今朝6時に私たちを起こしました。
そして、夕食に34人のひとが来ると言ったんです』
いったい、どうやってマハラジは、 私たちがここに来るのを知ることができたのでしょうか?
ここに来る決定をしたのは、この“わたし”なんです。 まったく恐ろしいことですね(笑)」
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◆編集後記
「覚醒意識Awareness」という言葉は、 従来、 神や愛、悟りなどといった言葉で呼ばれていた領域を含むものですが、
なぜラム・ダスがそのような領域を指し示すものとして、「覚醒意識」という言葉を用いているかというと、
それが現代の文化において、中立的な言葉であるからです。
ある講演会場で、インドで小さい頃から瞑想の勉強をしてきたという、
日本人の母親とアメリカ人の父親をもつ10歳の男の子が、 講演が終わる直前になって、ラム・ダスに質問をしました。
するとラム・ダスは、その男の子の問いに答えながら、 覚醒意識について、次のように話しました。
「覚醒意識というのは、空のようなものなんだよ。 空は、雲や飛行機や鳥などが通
っていくけど、 きみは、空そのものになるんだ。 たとえば、ここにひとりのひとがいるとするね。
わたしは自分の眼に注意をむけ、 自分の眼がそのひとを記録するのに意識をむけるんだ。
そうやって意識をどんどん後ろに下げていくと、 覚醒意識になることができるんだよ。
覚醒意識というのは対象ではなくて主体だから、 きみは覚醒意識になることはできても、
それを見ることはできない。 それはちょうど懐中電灯のようなもので、
いろんなものを照らすことはできても 自分自身を照らすことはできないんだ」
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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ
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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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