第18号
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片山邦雄の「紆余曲折」 2002/5/12
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今週の目次
◆連載コラム:第十九回 「ドクター・アメリカ」
◆編集後記
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◆連載コラム: 第十九回 「ドクター・アメリカ」
ゴールデンゲイトブリッジを渡ったバスは、 サンフランシスコの北に点在するいくつかの町を通
って、 静かな森に囲まれたミルバレーに着いた。 その日、わたしが会う約束をしていたのは、
ドクター・ラリー・ブリリアントというアメリカ人だった。 わたしが初めて彼のことを知ったのは、『愛という奇蹟』のなかに、
世界保健機構(WHO)の天然痘プロジェクトで 天然痘を撲滅するために働く医師の話があり、その医師が彼だったからだ。
アメリカで医師をしていた彼は、 ラム・ダスの師であるニーム・カロリ・ババ(通
称マハラジ)から、 ドクター・アメリカというニックネームで呼ばれていた。そして、
「おまえは国連のために働き、村に行って、ワクチンを接種するだろう」といわれ、
師の指示に従って、半信半疑でWHOの事務所に通うが、 WHOが彼を雇うという話はいっこうに起こってこない。
しかし、少しずつ不思議な偶然が重なりはじめ、 彼はついにWHOで働くことになった。そして、師が語った
「天然痘は根絶される。それは、ひたむきな医学者たちの多大なる努力によって、
神から人類にあたえられる贈り物になる」という言葉を信じて、天然痘撲滅のために東奔西走することになる。
その結果、わずか2年の集中的なキャンペーンによって、 インドの天然痘は根絶されたのだった。
(詳しくは『愛という奇蹟』289〜300ページを参照)
約束の時間が10分ほど過ぎたとき、 満面に笑みをたたえたドクター・ブリリアントがわたしの前に現れた。
私たちは、すぐそばのレストランで、お昼を食べながら話をすることにした。
そして、「どのようにしてインドに行くようになったのですか」
というわたしの質問にたいして、彼は次のように語った。
「わたしがサンフランシスコで医者をはじめたとき、 副甲状腺の癌にかかりました。そして手術をしたために、
医師としてのトレーニングを中断しなくてはなりませんでした。
病気から回復したとき、アルカトラズ島にいたネイティブアメリカンのグループが
医者を必要としていたので、わたしが島に行きました。 わたしは、そこでたったひとりの白人だったんです(笑)。
その島でネイティブアメリカンの赤ん坊が生まれ、 わたしがその赤ん坊を分娩させると、
新聞がわたしについての大きな記事を書きました。 たったひとりの白人が、赤ん坊を分娩させたと。
映画会社のワーナーブラザースが電話をかけてきて、 わたしに映画に出演しないかと声をかけてきました。
妻とわたしは、映画の撮影のためにサンフランシスコからロンドンに行きました。
撮影が終わると、映画会社は出演者にたいする謝礼として2つの方法を提示しました。
ひとつは現金で、もうひとつは世界一周の航空券でした。 私たちはその2つを織りまぜ、バスを2台購入し、
さらにインドからアメリカに帰る航空券をもらいました。
そして、2台のバスをサイケデリックな色に塗り、 インドまでバスで行くことにしたのです。
イランやアフガニスタン、イラク、パキスタンなどを通り、 途中でイスラム教徒や仏教徒、ヒンドゥー教徒とともに過ごしました。
インドに着くまでに2年近くかかりました。
1971年にニューデリーに着いた最初の日に、 旅行中のヒッピーたちと同じように、私たちも手紙を受け取りに行きました。
手紙はアメリカンエキスプレスのオフィスに送られてくるんです。
列に並ぶと、ちょうど私たちの前にいたのがラム・ダスでした。
そのとき彼は、出来たばかりの『ビー・ヒア・ナウ』を受け取りに来ていたんです。
そして、わたしの妻がマハラジにたいへん興味を抱き、会いに行きました」
しかしながら、ドクター・ブリリアントは、 はじめからニーム・カロリ・ババに心をひらいたわけではなかった。
最初、妻に連れられて会いにいったとき、彼はその場の光景にぞっとしたという。
西欧人たちがみんな白い服を着て、太った男のまわりをうろついていたからだ。
とりわけ、人びとがその足に触れるのを見て、彼は身震いした。
ニーム・カロリ・ババは一週間、彼を無視しつづけた。 八日めになってアメリカに帰る決心をしたドクター・ブリリアントは、
気分がよくないといって、滞在していたホテルの近くにある湖の周りを、
ひとりで歩いていた。そして自分が心をひらけない以上、 もはや妻との結婚生活は終わってしまうにちがいないと思ったという。
そのとき、彼は、大人になってから一度もしたことがないことをした。
神にむかって、この事態を理解させて欲しいと祈ったのだ。 翌日、彼は、別
れの挨拶をしに寺院をたずねた。 男が座るタケット(木のベッド)には、果
物がおかれていた。 そのとき、そこからリンゴがひとつ落ちた。
ドクター・ブリリアントがリンゴを拾おうと身をかがめたとき、
部屋からニーム・カロリ・ババが出てきた。そして、彼の足を踏みつけたのだ。
彼はひざまずいた姿勢のまま、足に触れてしまったのだった。
師は彼を見下ろすと、「昨日はどこにいた? 湖にいたのかね?」と言った。
「湖(レイク)」という言葉だけが英語だった。 さらに師は、「湖で何をしていたのかね」と聞いたあとで、こう言った。
「神様と話をしたかね? 何か頼みごとをしたかね?」
その言葉を聞くと、ドクター・ブリリアントは崩れ落ち、 赤ん坊のように泣きだしたという。師は、彼のあご髭をひっぱると、もう一度、こう言った。
「何か頼みごとをしたのかね?」。 そして、それ以来、彼は師とともにいることが喜びとなった。
(詳しくは『愛という奇蹟』36〜38ページを参照)
ドクター・ブリリアントは、 最近上映された映画「ラム・ダス、きびしい恩寵」のなかにも、
何度か登場している。そのなかで彼は、 「マハラジの前にいると、彼がすべてのひとを愛しているというだけでなく、
自分もすべてのひとを愛することができるようになる」と語っている。
あなたにとって、師はどういう存在だったのですか、と訊くと、彼はこう答えた。
「マハラジがどういう存在かということは、わたしにはわかりません。ときには、
神だとか、聖者だとか、菩薩だとか思ったりするひともいるかもしれませんが、
そういったものはすべて単なる言葉にすぎないということです。
わたしにわかっているのは、彼が、わたしが考えていることを すべて知っていたということです。彼はつねに未来を語ることができました。
彼は、わたしが天然痘の症例を見る前から、天然痘は撲滅されると言いました。
なぜ彼にはそれがわかったのでしょうか。 WHOは信じませんでしたし、インドの政府も信じませんでした。
わたしはプロジェクトの上司だった蟻田医師と話したときのことを覚えています。
ヒマラヤに住んでいるわたしの師が天然痘は撲滅されると言ったというと、
蟻田さんは笑いました。
これは大きなことですが、小さなことでもそうでした。 あるとき、わたしはマハラジに、
わたしの義理の母が乗った飛行機が火曜日にインドに着くので、
出かけなくてはならないと言いました。 するとマハラジは、『ちがう、水曜日だ』と言いました。
電報には、火曜日と書いてありました。 わたしがそれを見せると、もう一度、『ちがう、水曜日だ』と言いました。
私たちが火曜日に空港に行くと、そこに別の電報が来ていました。
フライトが遅れて水曜日に着くと書かれていたんです(笑)」
WHOで天然痘プロジェクトの仕事をしていたときも、 ドクター・ブリリアントは、週末になると師がいるアシュラムにもどり、
師からさまざまなアドバイスを受けたという。 あるとき、彼は、インドの役人が腐敗していて、
医師が子どもたちにワクチンを接種する許可をあたえるのに賄賂を要求すると、
腹を立てて不満をもらしたことがあった。
すると師は、それは役人だけの問題ではなく、彼自身の問題でもあるのだと指摘し、
「バガヴァッド・ギーター」の一節を引用して、次のような内容を記憶させたという。
ひとが物質的な世界に生きていると、ものにたいする執着が生じるようになる。
そして、そこから好みや偏向といったものが生まれ、 さらにそれによってマインド(思考)の混乱が生じる。
価値判断によって、明晰に、客観的にものが考えられなくなるのだ。
「わたしはマハラジに、インドの役人が腐敗していると不満を言ったのですが、
マハラジは私に、バガヴァッド・ギーターを記憶させるというかたちで答えました。
マハラジが私に言っていたのは、政府の役人が腐敗していることに腹を立てるな、
彼らが道を見失っていたとしても、 冷静さを失ってはいけないということだったのです」
食事を終えて、私たちは、ミルバレーの町から車で10分ほどの、
山の中腹にある彼の家に行った。 家の入口には、仏教風の小さな庭とヒンドゥー風の小さな庭が別
々につくられている。 そして、静かな森を見下ろす眺めのいいリビングには、
ヒマラヤにある寺院の大きな写真が飾られていた。
ソファーに腰かけたわたしは、 ドクター・ブリリアントが関わってきたセーヴァ・ファウンデーションについて
インタビューすることにした。 セーヴァ・ファウンデーションとは、彼が中心になってつくった非政府の援助団体で、
第三世界の貧しい地域などに行って、 医療などの面でその地域の人びとを援助することを行ってきた組織である。
「現在では、セーヴァは23年めです。 ギリジャ(妻)とわたしは、1978年にセーヴァをはじめました。
その背後にあるアイデアは、マハラジが天然痘を根絶するように言ったことです。
しかし、彼は、その次に何をするかは言いませんでした。 わたしはある論文を書き、そのなかでインドでどのように天然痘が根絶されたか、
マハラジがどのようにアドバイスしたかを書きました。
ある雑誌がその論文を掲載し、人びとがわたしにお金を送るようになりました。
2万ドルです。当時としては、それはかなりの大金でした。 そのお金をどうしたらよいかわからなかったので、
ラム・ダスをはじめ、何人かが集まってミーティングをひらきました。
そして、今度は、目が見えなくなった人びとを助けようということになったのです。
それ以来、私たちは5千万ドルを集めてきました。 セーヴァは200万人のひとの目を見えるようにしました。
そのことはとてもうれしく思っています。 いまセーヴァは、グアテマラやチベット、カンボジア、アフリカ、
インドの人びとを援助しています。 そのコンセプトは、ある国に行って援助はしますが、植民地化はしません。
援助をはじめて軌道にのったら、手をひくというかたちです」
WHOの仕事のあとで、アメリカにもどったドクター・ブリリアントは、
インドとアメリカを往復しながら、 ミシガン大学で国際的な保健医療を教えることになる。
やがて彼は、アップル・コンピュータを創設した スティーブ・ジョブスからアドバイスをうけ、
1983年にThe Wellという会社をはじめる。 そして、『ホール・アース・カタログ』の発行者スチュアート・ブラントとともに、
インターネットの前身にあたるネット上のコミュニティスペースを立ち上げる。
しかし、昨年9月に起きた世界貿易センタービルへのテロ事件を目撃したあとで、
ドクター・ブリリアントはそれまでの仕事をつづける気がしなくなった。
そして、自分が所有していた会社のほとんどを手放してしまったという。
現在、彼は国際平和に関するニューズレターをメールで発信している。
最近のニューズレターのなかで、彼は宗教間の対立の問題について、こう書いている。
「わたしの師であるニーム・カロリ・ババは、 キリスト教やユダヤ教をはじめ、イスラム教、シーク教、仏教、
ヒンドゥー教の生徒をもっていました。 『キリストは神の息子であるか』とか、
『クリシュナはシヴァよりすぐれているのか』とか、 『ユダヤ教徒がアッラーを賞賛してもよいのか』とか、
『イスラム教徒が偶像であるハヌマーンにお辞儀をしてもよいのか』
とたずねられると、 彼はこう答えました。
『すべてはひとつである』
彼は、違いを超えて、共通のみなもとを見るようにと言ったのだと思います。
私たちは、私たちを分離させるものではなく、 ひとつに結びつけるものを探しはじめなくてはなりません。
私たちは、互いを分離させるものではなく、 等しくもっているものに注目しなくてはなりません。
そして、いかに同じ存在であるかということに、気づかねばならないのです」
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◆編集後記
本文でも触れたように、ドクター・ブリリアントは、 医者からヒッピーへ、そしてWHOのスタッフや大学の教師をはじめ、
非政府の援助組織の代表、インターネット関連の会社経営者など、
数々の活動をこなしてきた人物ですが、 どうしてインターネットの会社をはじめたのですか、とわたしが訊くと、
「三人の子どもを学校に行かせるためです」といって、笑いました。
一方で、彼がラム・ダスといっしょに設立した セーヴァ・ファウンデーションの運営資金の一部が、
彼の会社の利益によってまかなわれてきたことも知る人ぞ知る事実です。
昨年9月のテロ事件のあとで、ビジネスの世界を離れたドクター・ブリリアントに、
これから何をするつもりですか、とたずねてみました。 すると彼はこう答えました。「わかりません。いま耳を澄ませているところです」
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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ
出版のホームページをご覧ください。
http://www.pawanasuta.com/
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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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□発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
□マガジンID 0000058263
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