創刊号
=========================================================
片山邦雄の「紆余曲折」 2001/2/9
=========================================================
今週の目次
◆連載コラム:第二回 「ビー・ヒア・ナウとの出会い」
◆編集後記
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
連載コラム:第二回 「ビー・ヒア・ナウとの出会い 」
そもそも、わたしが初めてラム・ダスのことを知ったのは、今からおよ
そ八年前のことである。仕事の休暇を利用して、タイのサムイ島に行くことにな
り、彼の著書の『ビー・ヒア・ナウ』(●メモ1)を持ってでかけたのだ。
なぜ『ビー・ヒア・ナウ』を持っていく気になったのか、本当はよく覚え
ていない。本文は1ページも読んではいなかったが、おそらく赤や青、黄、
紫の色紙に印刷されたポップなデザインが、熱帯の島で読むのにふさわし
いように感じたのだろう。
でも、不思議にも買ったときの印象は鮮明に残っている。六本木にある
青山ブックセンターという本屋だった。ある日、わたしがいつものように
仕事帰りに本を手にとって見ていると、ふと『ビー・ヒア・ナウ』という
文字に目がとまった。タイトルだけでは何の本かよくわからなかったが、
中身のデザインや構成が、普通の本とはかなり違っていた。それに、オレ
ンジ色の帯に書かれた「アメリカを変えた本!」という見出しにも興味を
そそられた。
じつは、そのときまで、わたしはアメリカの60〜70年代にどのような文化的
変容があったのか、詳しくは知らなかった。ヒッピー・カルチャーやニュ
ーエイジにしても表面的には本を読んで知ることはできたが、本当のところそこで何があった
のか、どうしてあのような状況が盛り上がったのか、その気分までを含めて追体験することは到底かなわなかった。
当時、わたしは新聞社の編集者をしていたが、ちょうど世界の植物を写
真 と原稿で紹介する百科事典の編集部に異動してまもない頃だった。そのなか
で、わたしは人間と植物との文化史的なかかわりを特集するテーマ分
冊を担当していた。そして、そのテーマ分冊の企画づくりの段階で、わたしはシャー
マニズムをはじめ、先住民社会における植物との特別なかかわりに注目する
ようになった。なかでも興味を引いたのが、シャーマンたちによるキノコ
を用いた儀式だった。
1950年代に、ヘラルド・トリビューン紙の記者やモーガン銀行の副頭取
まで勤めたゴードン・ワッソンというアメリカ人が、メキシコのマリア・サ
ビーナという女性シャーマンに出会い、彼女といっしょにキノコの儀式に参加した模様を発表して以来、この
ようなキノコの儀式は文化人類学などアカデミックな場においても、関心が持たれ
るようになっていた。とりわけ、現代に残されたシャーマニズムの実践形態のひと
つとして、キノコの儀式がもたらす、通常とは異なる意識体験が注目を集めてい
た。
わたし自身、もともと、シャーマンとのキノコの儀式や変性意識体験といわれるものに
関心があったというわけではない。むしろ、それまでは合理主義者で、
そのような意識体験は精神異常か幻覚のたぐいにしか考えていなかった。しかし、
そのようなキノコの儀式は一般の人びとの目にはあまり触れられることがなかった
ので、好奇心をくすぐったし、ときにはそれらが社会から「幻覚剤」や「麻薬」
として規制を受ける理由や文化的背景を解き明かしてみたいとも思っていた。それ
に、文献を調べれば調べるほど、どうやらキノコの成分が私たちが普段は体験する
ことのできない世界に意識を飛翔させるのは間違いなさそうだった。
しかし、読んでいるだけでは、そのようなキノコが本当にどういうものか、知る
には限界があった。どういう成分が人間の精神にどうような影響を及ぼすか、具体
的に文字で書かれていたとしても、実際の味も効果もまったく伝わってこないから
だ。スキューバダイビングをしたことのない人間が、海のなかの珊瑚礁
やその美し さを散々聞かされるような欲求不満を感じるだけだった。
そこで、わたしは、古来からシャーマンたちによって宗教儀式に用い
られてきたというキノコを、実際に自分で食べてみるために、同じような
種類のキノコを食べさせてくれるというタイのサムイ島に行ってみることにした。
サムイ島はなんとものどかな島だった。そのころ、島にある空港はコンクリートの
滑走路があるだけで建物はなく、わずかに草で覆われた屋根がある、雨よけの荷物
置き場がポツンと広い敷地のなかに建っていた。島を一周する幹線道路は
舗装されていたものの、ほかの道はジャリ道か泥道だった。わたしはホテルと町の
あいだを、トラックの荷台を使った乗り合いバスに乗って往復した。
わたしがサムイ島で滞在した宿は、バンガロー風の独立したコテージで、コテー
ジの横には食事をしたり、海を眺めることができるベランダがついていた。滞在
一週間ほどして、いよいよ初めてキノコを食べるチャンスがやってきた。
キノコはその当時、サムイ島ではドラッグのように規制されているというわけで
はなかったが、必要な知識や心構えもなく食べた旅行者がおかしくなって、病院に
運ばれたりするケースは多いようで、気を付けて食べなければならない部類のもの
に属していた。
ちなみに、わたしの場合、町で何度か通っていたレストランの親父にキノコの話
をすると、何の問題もなさそうに料理人につくらせるといって承知してくれた。わ
たしは注文しておいたキノコのオムレツを、テイクアウトでホテルに持ち帰ると、
バンガローのベランダに座って、おそるおそる一口食べてみた。
「ジャリ、ジャリ、ジャリ……」
まるで砂でも食べているかのように、ザラザラとした味がした。美味しいとは言
えなかったが、それでもわたしの心にはこれからいったい何が起こるのか、期待と
不安が渦巻いた。
ところが、キノコを食べてしばらくたっても、ぜんぜん効き目がない。本で読ん
でいたみたいに、五感に変化が現れるといったこともなく、目の前で見えているも
ののかたちが変形したり、見えないものが見えるといったこともなかった。わたし
は、もう一口、もう一口と、とうとう二人分のオムレツをあらかた食べてしまった。
それから、どれくらいの時間がたった頃だろう。何も変化がないことに少々ガッ
カリしていたときだった。見える世界には何も変化はなかったが、だんだん頭が
ボォーとしてきた。そして、ハッとすると頭のなかからほとんど記憶が消えかけて
いた。まず、時間の感覚がなかった。「いま何時? 何月何日?」。さっき
までわかっていたことがわからないのだ。
次に消え去ったのは、場所の感覚だった。「ここはどこ? いったいどこなの?」。
まったく思い出せない。意識はあるのだが、ふだん把握している時空間の座標軸が
すっかり消えてしまっているのだ。気のせいか、頭が燃えるようにカッカッしている。
一瞬、このままどうかなってしまうのではないか、という不安がよぎった。
そのとき、あわてて外を眺めた。外の景色をみれば、そこがどこかわかるのでは
ないか、と思ったのだ。すると、わずか4、50メートルほど先に広がる青い海と砂
浜が見えた。日差しにキラキラと輝く、エメラルドグリーンの美しい海だった。そ
の海を見たとたんに、相変わらず日時も場所もすぐには思い出せなかったが、そん
なことが一瞬、気にならなくなった。
実際、余裕が生じてくると、机の上にある灰皿のようなものでも、いつまで見て
いても見飽きなかった。
ベランダの横にある菜園を見ていると、土を掘り起こしてみたくなる。ガマガエ
ルの鳴き声ですら、まるで自分の内側から聞こえてくるように親しみ深いものに聞
こえてきた。
そして、そのようなことを心底楽しむことができるようになると、自分がいまど
こにいて何をしているか、なんていうことはどうでもよくなった。わたしはただひ
たすら、ここに存在していることの喜びに満たされていたからだ。
それから、しばらくたって、初めてわたしはカバンの中にあった『ビー・ヒア・
ナウ』を取り出してみた。もうその頃には、どこで何をしているのか、はっきり認
識できるようになっていたが、読んでビックリしたのは、その本の冒頭に、似たよ
うなことを体験をしたラム・ダスの状態が描かれていたのだ!? すなわち、初め
て同じような種類のキノコを食べたときのラム・ダスの体験の一部始終が書か
れていたのである。
おそらく、いまならシンクロニシティと言うのかもしれないが、
わたしはこの本の不思議な巡りあわせに、思わず狂喜乱舞した。
だいたい、わたしはなぜ、この本をもってサムイ島に来たのだろうか? まさか
キノコを食べたあとで読むために持ってきたとでもいうのだろうか?
日本に帰国してから、わたしは貪るように『ビー・ヒア・ナウ』を読み終えた。
そして、それから何度も何度もこの本を開いた。読むたびに新鮮な気づきがあり、
通常とは異なる知恵を感じることができたからだ。そして、そのようなときには、
いつもあの不思議な出会いを思い出すのだ。
●メモ1、『ビー・ヒア・ナウ』
1971年にラム・ダスとラマ・ファウンデーションが出版した本で、アメリカで
二百万部のベストセラーになり、ヒッピー世代のバイブルとまで呼ばれるよう
になった
この本に書かれたキノコの儀式が見せてくれる世界の体験談は、ほんの入口に
しかすぎない。本のなかには、キノコやLSDなど精神を拡張させるサイケ
デリックスを用いた体験の限界や、自然状態でそのような内的空間を体験するた
めのエクササイズも書き込まれている。そして、古今東西のさまざまな哲学者や
神秘家の言葉を織りまぜながら、私たちが通常把握することが困難な、より広い意
識のパースペクティブについて詳細に語られている。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
◆編集後記
はじめまして。片山邦雄です。まぐまぐに登録していただいたみなさん、ありが
とうございます。しばらくは小難しい分析・理論などは後回しにして、これまでの
わたしの体験を中心に書いていくことにします。以後、末永くおつきあいください。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ出版
のホームページをご覧ください。
http://www.pawanasuta.com/
-------ご意見ご感想はこちらまで!----------------------------
□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
□関連ウェッブサイト
http://www.pawanasuta.com/katayama.html
□発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」
http://www.mag2.com/
□マガジンID 0000058263
---------------------------------------------------------
●無断転載・プリントアウトの配布などはご遠慮ください。
●転載・掲載の際は事前にご連絡ください。
---------------------------------------------------------
|