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片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2001/2/23

 


第2号

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      片山邦雄の「紆余曲折」    2001/2/23

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今週の目次

◆連載コラム:第三回   「トランスパーソナルの可能性」  
 
◆編集後記

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連載コラム: 第三回  「トランスパーソナルの可能性」

 

 わたしが新聞社に入社したのは、80年代最後の年だった。この時期、日本経済はバブルの絶頂に浮かれていたが、 世界を見渡してみると、一時は封建的支配を打破する原動力になった共産主義を掲げる諸国で、大きな激変が起こっていた。

 

 中国では、自由化を求める学生らが北京の天安門広場で反乱を起こし、東欧諸国では、市民の連帯によって共産主義体制が次々と崩壊し、 東西ドイツを分け隔てていたベルリンの壁が取り除かれた。 さらに、それから数年、旧ソ連邦の解体や東西ドイツの統一、中国における経済の開放といった出来事が立てつづけに起こったのである。  

 

 その結果、世界の二大勢力のひとつとして、20世紀の神話のひとつを形成してきた共産主義イデオロギーが終焉、もしくは時代の表舞台から姿を消してしまった。

 

 それと同時に、ジャーナリズムをはじめ、時代潮流に機敏に反応する言説空間においても、言説そのものの基盤となるパラダイムの見直しが要求されるようになった。 わたし個人に関していえば、共産主義者でもなんでもなかったが、このような時代の変化にさらされたことで、自分自身の思考の基盤そのものを見つめ直すことになった。  

 

 そして、その過程で出会ったのが、アメリカのニューエイジの実践から生まれたトランスパーソナル心理学と呼ばれる思想潮流だった。このトランスパーソナル心理学、西洋の心理学と東洋の宗教的伝統のなかで語られてきたことを統合する研究分野として、 日本でも80年代から90年代にかけて注目されるようになり、ケン・ウイルバーやスタニスラフ・グロフなどの著作がたくさん翻訳・紹介されてきているので、ご存じの方もいるかもしれない。

 

 アメリカでは60年代に心理学者のアブラハム・マズローらによって国際トランスパーソナル学会が創設されているが、 日本でも1996年に日本トランスパーソナル学会が旗揚げされ、一部の心理学者や人類学者、精神科医のあいだで非常に興味をもたれている分野である。  

 

 日本では以前、ジャーナリストの立花隆氏が、宇宙飛行士が宇宙空間で体験した至高体験や、死の縁から生還した人が遭遇するといわれる臨死体験を扱った著作を発表し、トランスパーソナル心理学が対象とするような関連領域が、大きな関心を集めるようになった。    

 

 ただし日本の場合、ヨーロッパ系の思想とは異なり、まだまだアカデミズムやマスメディアで、 きちんと論議されるジャンルとして確立されているわけではない。

 

 このトランスパーソナル心理学、なぜアカデミズムにおける議題になりにくいかというと、従来の学問とは、少し違うところがあるのだ。一般 に学問、なかでも西欧で発達してきた人文科学や社会科学は、知識や理論の習得が中心になっている。  

 

 ところがトランスパーソナル心理学の場合は、知識や理論もたくさんあるにはあるのだが、それらを学んだだけではまだ道の半分まで来たにすぎない。なぜなら、トランスパーソナル心理学では、理論や知識は、料理でいうところのレシピにすぎないからだ。当然のことながら、料理であれば、レシピをもとに、素材を調理し、食して味わうという、もっとも重要な行為が残っている。

 

 同じように、トランスパーソナル心理学では、知識や理論を習得した後で、さらにそれがどのような心理状態であるか実践し、自分自身で味わうというところまでいかないと、本当の意味で理解したことにならないのだ。少なくとも、そこまでいって初めて、それが本人にとって何を意味しているかがわかる仕組みになっている。  

 

 別の言葉で言えば、トランスパーソナル心理学が語る世界は、 個人の自己体験をベースにして構築、理解される領域なのだ。 ある特定の心理状態に関するかぎり、それと類似するような心理状態を体験しなければ、 本人のなかで納得できないことなのである。 すなわち、通常の学問的アプローチに加えて、内省的体験によって自己検証をおこなうという作業が付加されているわけだ。  

 

 もうひとつ、このトランスペーソナル心理学が通常の学問とちがうのは、 臨死体験のように、通常とは異なる「変性意識」体験というものを まな板に乗せようとしていることである。 これは、ある意味で、かつての宗教家が語っている境地のような領域まで踏み込んで、 学問の場で検討しようという野心的な試みでもある。

 

 たとえば「悟り」といわれる状態であれば、 それを本を読んで理解しているだけではなく、 実際にそこまで実践してみようというのだ。 もちろん、実践した結果 が本当の「悟り」であるかどうかを どう検証するかという問題は残るのだが、 少なくとも瞑想やボディワーク、精神を拡張させるサイケデリックスをはじめ、 そこに至るためのさまざまなメソッド(方法)が言及されている。  

 

 当然のことながら、このような内容は、 通常の知性や理性だけで、すぐさま了解されるというものではない。 だから、なかなか学問の対象にはなりにくいという面を併せもっているのだ。  

 

 じつは、このトランスパーソナル心理学を、日本に最初に紹介してきたのが吉福伸逸氏だった。 彼はとても面白い経歴の持ち主で、60年代に早稲田大学を中退すると、アメリカのバークレー音楽院でジャズを勉強し、 その後ジャズのベーシストとしてニューヨークで活躍することになる。

 

 ところが、わずか数年でジャズミュージシャンとしての人生にきっぱりと見切りをつけると、 それまで人生そのものだったジャズをやめて、いったん南米に渡る。 そして、ふたたびアメリカに戻ると、ヒッピー運動の盛んだったサンフランシスコにあるカリフォルニア大学で サンスクリットや東洋哲学を学び、同時に当時胎動期にあったサイコセラピーやブレスワークなど意識変容の技法を修得した。  

 

 その後、日本に帰国した吉福氏は、70年代末から80年代にかけて翻訳家やセラピストとして、 本格的に日本にニューエイジ・サイエンスやトランスパーソナル心理学を 導入する立て役者となった。 そして、前回のこのコラムでも触れたラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』をはじめ、 70年代以降のニューエイジ関係の専門書を次々と翻訳しつづけたのだ。  

 

 だが、それで終わりではなかった。 日本でもようやくトランスパーソナル心理学の理論やセラピーが根づき始めた頃、 彼は、唖然とする周囲の関係者をあとに残して、 妻子を連れてさっさとハワイに移住してしまったのだ。

 その吉福氏が、たまたま93年の夏に日本に一時帰国して ワークショップをおこなうというので、実際に出かけてみた。 本を読んでいるだけではよくわからない、 トランスペーソナル心理学の実践方法、 なかでも変性意識状態を直接、味わうことができるのではないかと思ったのだ。  

 

 ワークショップは、温泉に恵まれた伊豆地方でも良質のアルカリ温泉として知られる 下田郊外の観音温泉という場所で行われた。 大きな講堂のような会場には、およそ5〜60人の参加者がいた。 そして、そこに小柄な身体つきながらも、 酸いも甘いも知り尽くしたような顔をした吉福伸逸氏が現れた。  

 

 かつて、ジャズミュージシャンだったからかどうかはわからないが、 彼の話はまるで音楽を聴いているような心地よさがあった。独特のリズム感があるのだ。 それに、人に対しても、自分に対しても決して耳あたりのいいことは言わない。 突き放したようなストレートな語り口は、自己欺瞞とは無縁で、 細心にして大胆、歯に衣着せぬ物言いが、 参加者の注目をいっしんに集めていた。

 

 ワークショップでは、過呼吸によって変性意識を引き起こすという ホロトロピック・ブリージングというのを初めて体験した。 これは、チェコスロバキア出身の精神科医、スタニスラフ・グロフが 古今東西の呼吸法を研究して開発した呼吸法で、 過呼吸と音楽だけで人びとを深い変性意識に運んでいくといわれる方法である。  

 

 残念ながら、わたし自身は激しい呼吸をしても、 両手両足にしびれを感じたくらいで、 あまり大きな変化はなかったが、 他の参加者のリアクションには驚くことが多かった。  

 

 たとえば、わたしの横にいた小柄な中年女性の場合、 横になって過呼吸を始めるとすぐにトランス状態に入り、 大人の男が二人がかりで押さえつけてもはねのけるくらいの強さで動き始めた。 よく火事場の馬鹿力というようなことがいわれるが、 その姿を見たとき、 わたしは人間のもつ無意識のエネルギーの巨大さに触れたような気がした。  

 

 その一方で、まったく静かに内的領域でクジラと一体化して、 海を泳いでいたと語る女性もいれば、 金色の等質な光が降り注いでいたと語るひともいた。 劇的な体験をするひとから、まったく何も変化がないひとまで、個々人によって、その内容は千差万別 であるようだった。

 

 わたしが新聞社にいたときにおこなった最後の仕事が、 ハワイにいる吉福氏のインタヴューだったのは、偶然ではない。 その数年の内外の出来事を考えあわせ、 吉福氏が考える意識の可能性についてうかがったものだ。 インタヴューが終わり、撮影も無事に済んだあとで、 わたしは太平洋に面 したコテージの部屋にもどり、物思いに耽っていた。  

 

 翌朝、夜明け前にうっすらとハワイのノースショアの空が白んできた。  日本に帰る前に、わたしは少し海岸を散歩してみようと思った。 目の前には、ハワイの大地の豊饒さを象徴するように、 大きな椰子が立ち並び、海からの風に揺れていた。 その光景はさながら楽園のように美しかった。  

 

 そのとき、わたしは、かつて日本にいた吉福氏がハワイの地に 住んでいるという事実をひしひしと感じた。かつて日本にいた彼が、いまはハワイに住んでいる。 なぜ彼はハワイにいて、わたしはいないのだろう?

 

 いや、わたしだって挑戦すれば、 自分で選び取りさえすれば、なにもハワイに限らず、どこにだって住むことができるのだ。 その瞬間、当たり前のことだが、人生には様々な選択肢がありうるのだということを、 はっきりと実感した。

 

 それが前の日におこなった吉福氏のインタビューの影響なのか、 ハワイの夜明けがあまりに美しかったせいなのかはわからない。 ただ、自分に勇気さえあれば、 人生は限りない可能性に開かれていることだけは確かなことのように思われた。

 

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◆編集後記  

 

 今回は、トランスパーソナル心理学の紹介も含めていたので、 少々理屈っぽかったでしょうか?     

 

 ハワイにいる吉福氏とは、その後も仕事やプライベートで、 何度かお会いするチャンスがありました。 吉福氏は現在、ノースショアでサーフィンの世界大会をオーガナイズしています。 サーフィンの大会中に、関係者がひっきりなしに出入りするなか、 インタヴューをさせていただいたこともありました。 

 

 いくつかの偶然が重なったとはいえ、 わたし自身の転機の時期に、どうして何度も吉福氏に会うことになったのか、 不思議に思うことがあります。 もしかすると、日本人の枠組みを大きくはみ出して生きてきた吉福氏に会って、 自分も自由に生きていいのだということを確かめていたのかもしれません。  

 

 ハワイでの思い出深い出来事や、 トランスパーソナル心理学がわたし自身の体験をどうサポートしてくれたかについては、 また別の機会にあらためて書きたいと思います。

 

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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ出版 のホームページをご覧ください。
http://www.pawanasuta.com/

 


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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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