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片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2001/3/25

 


第4号

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      片山邦雄の「紆余曲折」    2001/3/25

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今週の目次

◆連載コラム:第五回   「ブラジルの大地に抱かれて」  
 
◆編集後記

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◆連載コラム: 第五回  「ブラジルの大地に抱かれて」



 着陸態勢に入るというアナウンスが流れてしばらくすると、サンパウロの町灯りが見えてきた。成田を出発してから、途中ロサンゼルスで一時間ほどの休憩があったものの、それ以外はずっと機中に押し込められたままだった。日本を出ておよそ丸一日たった頃、ようやく地球の裏側にあたるブラジルの大地が見えてきた。

 

  いまから5年前の1996年、妻とわたしは夏の休暇を利用して、はじめて南米の大国、ブラジルを訪ねることにした。別 に、観光に行こうとしていたわけではない。日本で知りあったブラジル人夫妻が、その年の春に彼らの実家がある首都ブラジリアにもどっていたので、ちょうどホームスティでもするかのように彼らの家を訪れる予定だったのだ。  



  サンパウロの空港でブラジリア行きの国内線に乗り換える。あたりまえのことだが、空港内はブラジル人でごったがしていた。混血のすすむブラジルでは、一口にブラジル人といっても、肌の色も違えば、身体の大きさもまちまちだ。服装も、Tシャツに短パン姿から、皮ジャンを着込んだ人、水着のように肌を露出したファッションまで、みんな好き勝手な格好をしている。お国柄といってしまえばそれまでだが、本当に一人ひとり見ていて飽きない。  



  空港まで迎えに来てくれた友人の車に乗って、ブラジリア郊外にある彼の実家の農園に向かった。空港から農園まで、はじめて見るブラジルの大地は緑にあふれ、土ぼこりが舞い、日差しがまぶしかった。  



  一般道から100メートルほど細い道を入ったところに、その農園の入口はあった。色とりどりの花が咲きあふれ、鳥のさえずりが聞こえる。なかにはいると、もうかなり高齢の、友人の両親がわたしたちを出迎えてくれた。  



  二人とも日系人というよりは、見た目もまったくの日本人で、日本語も上手だった。聞くと、まだ物心のつかない小さい頃に、日本人の両親に連れられて船でブラジルに移民してきたという。    



  農園のなかには、まだ建ってまもない新しい平屋建ての家があった。三人いる子どもたちがお金を出して、年老いた両親のために建てた家だという。わたしたちは、それから一週間、その家の一部屋を借りて居候させてもらうことになった。  



  農園には、オレンジやバナナなどの果樹から、ドリアンやマンゴーまで熱帯の果 物ならなんでもあった。食事をするときには、家の周囲に広がる畑に行って、マンジョッカやニンジン、ニガウリ、レタスなどの野菜を採ってくる。滞在中、わたしたちは、決して贅沢ではないが、新鮮な食材を使って調理された、日本とブラジルの家庭料理が混ざり合ったような食事の数々を味わった。  



  ブラジリアに滞在して4、5日たった頃、いつものように友人の家で夕食をご馳走になってから、車ででかけることになった。わたしたちが向かったのは、首都ブラジリアから車で一時間ほど離れた、郊外にある農場のような場所だった。いくつかの建物が点在するその場所は、前回のこのコラムでも触れたアマゾン発祥の秘茶、アヤワスカをつくるために、材料となる蔓(つる)と葉を栽培する農園だった。  



  ちょうどその日は、採取した蔓と葉を大きな鍋に入れて、水を注ぎ、火にかけて煮出した「お茶」をつくる日だった。材料となる蔓を棒で叩いてほぐし、それに灌木から採取した葉を一枚一枚きれいに洗って加える。木の屋根がついただけの作業場には、大きな鍋がいくつも並び、赤い炎が揺らめいている。そこで夜通 しかけて、お茶が煮出されるのだ。



 ちょうど週末前の金曜日の夜で、続々とブラジル人たちが集まってきていた。その日、そこに集まってきたのは、30人くらいいただろうか。ほぼ全員が集まったと思われる深夜になって、屋外の作業場で、一人ひとりにグラスに注がれた茶色の液体が配られた。それを、みんなで一気に飲み干す。  


  それまで、わたしは、こんなに大勢の人と「お茶」を飲んだことがなかった。効き目はだいたいわかっていたものの、いつも飲むときは緊張した。次にいったい何が起こるか、そのときどきで体験は異なり、まったく予想できなかったからだ。わたしは毛布を一枚借りると、背もたれのついた椅子に座って、目を閉じた。  



  それから、どれくらい時間がたっただろう。カセットデッキから南米のリズミカルな音楽が聞こえ、その音楽にあわせて、わたしのなかの内宇宙が踊り出すような感覚に包まれた。  



  しばらくすると、閉じたまぶたの奥で、赤い炎のような円が動きはじめた。そして、だんだんその円が大きく渦巻き、わたしのうえに覆い被さってくる。その赤い円に飲み込まれそうになったとき、わたしはいままで感じたことのない恐怖感をおぼえた。身体が鉛のように重くなり、吐き気と寒気が交互に繰り返し襲ってくる。もうダメだと思った瞬間、わたしは抵抗するのをあきらめた。  



  すると次の瞬間、わたしの意識は何かの通路を飛び越え、前方には見たことのないヴィジョンが映し出された。遠いかなたで、宇宙の歴史が始まり、生命が誕生し、そして、それが時間の終わりとともに消え失せる一大スペクタクルが、まるで映像でも見るかのように、閉じたまぶたの内側で展開していたのだ。そこは、おそらく、わたしたちが自分たちのDNAのなかに記憶している始源の世界にちがいなかった。  



  しだいに、わたしの自意識は薄れていき、自分とブラジルの大地がひとつにつながったような気がした。土の匂いを感じ、自分が大地からつくられていることを納得した。わたしはブラジルの自然のなかにすっぽりと包まれて、なおかつ、わたし自身のなかには広大な自然が広がっていた。  



  と同時に、それまで忘れていた安らぎと喜びが、わたしのなかを駆けめぐった。「ああ、これこれ」と、わたしのなかの何かが懐かしそうにつぶやいた。大人になり、都会暮らしをするようになってから、すっかり見失っていたものが、そこにはあったのだ。わたしは、砂漠でのどが渇いた旅人がオアシスの泉で渇きをうるおすように、自然のもつ途方もないエネルギーを全身で味わっていた。  



  翌朝、わたしは自分のなかに広がる自然の力に神秘を感じつつ、ブラジルの大地を踏みしめた。それは、まるで旧約聖書の創世記に描かれるところのエデンの園に近かった。大地が変わったわけではない。わたし自身の意識が変わったのだ。  



  そして、わたしは知恵の実を食べたアダムとイブが、エデンの園から追放される物語が示唆するところを理解した。それは、まさしく、わたしたちの精神の働きを超えでたところに、エデンの園はいつでもそこにあるのだ、という驚くべき発見だった。  



  もちろん、このような体験を単なる幻覚として排除してしまうことも可能だろう。そういう見方をわたしは否定はしない。しかし、このようなヴィジョンをかいま見たことによって、わたしは、一人ひとりの人間が通 常は想像することのない、集合的無意識とも呼ばれるような領域とつながっていることを確信するようになった。
 


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◆編集後記


 今回は前回に引き続き、ブラジルの友人との出来事を書きました。ブラジルは日本の23倍近くもの面 積をもつ大きな国ですが、その自然のスケールの大きさには本当に圧倒されました。



  とくにブラジリアから見る空は、広大なブラジル高原にあるせいか、日本ではちょっと想像しにくいほど広くて大きいのです。雲が地平線のかなたまで360度広がっている、そんな感じの空でした。


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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ 出版のホームページをご覧ください。 http://www.pawanasuta.com/


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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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