メールマガジン
片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2001/4/08

 


第5号

=========================================================

      片山邦雄の「紆余曲折」    2001/4/08

=========================================================

今週の目次

◆連載コラム:第六回   「会社を辞めて……」  
 
◆編集後記

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

◆連載コラム: 第六回 「会社を辞めて……」


 「本当に、いいんですね。これが最後ですよ」
 「はい、よろしく頼みます」



 1997年の夏、わたしは銀座にあるホテルの喫茶室で、 配属になったばかりの編集部の部長に退職願を提出した。 さんざん迷ったあげくの決断だった。 わたしの心は、このまま新聞社にいて仕事を続けるか、 それともスピリチュアルな領域を本格的に探求するために世界に飛び出すかで、 大きく揺れ動いていた。

 

 これまで何度か書いてきたように、7年ほど新聞社で仕事をするあいだに、 わたしは自分自身に内在する、自分にとってはまったく新しい、 心や意識の可能性に目を見開かれつつあった。 しかし、コミュニケーションを仕事にしているとはいえ、 これほど人に伝えるのが厄介な世界もなかった。



 ものであれば、それを見たり共有することができるし、 思想であれば言葉によって理解しあうことも可能だ。 だが、心や意識といった領域についてはそう簡単にはいかない。 なぜなら、そこは誰もが日常的にアクセスしているにもかかわらず、 ふだんは自覚化しにくい無意識の領域にまたがっている場合が多いからだ。 われわれの通常の意識では捉えにくい場所。 もしかすると、本人ですらまったく気づいていない場所があるのだ。



  もちろん、そのような場所を魂の座とよぶこともできるだろうし、 自我を超えて広がる自己の領域とよぶこともあるだろう。 また、第三回のこのコラムで触れた心理学の用語を借りれば、 トランスパーソナルな領域と名づけることもできる。 要するに、そこは本来、直接的な自己体験によってしか把握できない世界なのである。



  ここで、ひとつ断っておきたいことがある。このような内なる領域については、 まだわれわれの社会がきちんと開示していないという理由もあり、 一部の宗教団体や商業的なセラピーが心ないやり方で、 そのような世界を人びとに押しつけたり、搾取的なビジネスにしている場合もある。 とくにオウム真理教による一連の無惨な事件に象徴されるように、 エゴが肥大化した特殊なカリスマが、心の救済や正義を売り物にして力を欲した場合、 さまざまな誘惑や狂気がつきまとう可能性がある。



  しかし、オウム事件が起こるまでは、新聞やテレビといったメディアでも、 あるいは日本を代表する知識人のあいだでも、 このような内的な可能性を秘めた世界を、 さまざまな角度から開示しようとする動きがあったことも確かだ。



  たとえば、立花隆氏はベストセラーになったその著書『宇宙からの帰還』のなかで、 宇宙飛行士が宇宙空間において神との邂逅を果たした体験を描き出していたし、 同じ著者による『臨死体験』では、体外離脱やクンダリニーの覚醒、光の世界といった われわれの日常的常識を超えた領域を体験する可能性についても言及していた。



  また、心理学者の河合隼雄氏は、ユング心理学を紹介すると同時に 人間の無意識の世界を描き出していたし、 宗教学者の中沢新一氏はチベット仏教やアメリカインディアンの思想を紹介し、 その独自の死生観や修行方法について語っていた。 さらに、解剖学者の養老猛司氏は脳と心の関係について独自の思想を展開する一方、 作家の大江健三郎氏は、小説のテーマを神なき時代の魂の救済に設定しながら、 哲学者のなかでも神秘的なスピノザ思想への関心を表明していた。



  しかし、いくら臨死体験を言葉で語ったとしても、 臨死体験そのものを伝えることにはならないのと同じように、 いくらメディアがそのような思想や体験者の言葉を伝えようが、 言説そのものは「月を指さす指」にすぎない。 つまり、その指は月を指さしていたとしても月そのものではなく、 小さな指の一本一本にすぎないのである。



  わたし個人に関していえば、トランスパーソナル心理学など ニューエイジ思想の知的な側面に関心を抱いていたところに、 植物の百科事典の編集をとおしてシャーマニズムと出会うことになった。 そして、いくつかのサイコセラピーやブレスワークなどの呼吸法をとおして 変性意識状態を体験するようになった。



  会社にいた最後の一年間、わたしは月刊オピニオン誌の編集部に配属された。 しかしながら、90年代後半の時代状況という枠組みのなかで、 スピリチュアリティやオルタナーティブな方向性をもつ思想表現を取りあげるのは、 編集部内での抵抗が大きかった。オウム事件の後遺症もあり、 新聞社でそのようなテーマを取りあげることがはばかれるような空気があったのだ。



  わたしにとっては配属替えになったときが、ひとつの決断時期だった。 編集部全員が交替するという事態とともに、 わたしに言い渡された辞令はパソコン誌への異動だった。 パソコンそのものにまったく興味がないというわけではなかったが、 ハード情報を中心とした誌面づくりには馴染めなかった。 コミュニケーションツールとして、あるいは情報インターフェースとしての パソコンの可能性は大いに認めるにしても、 パソコン誌の編集をする気にはならなかった。



  わたしは思い切って会社を辞めようと思った。 次になにをするか、はっきりとした展望があったわけではない。 将来の生活には不安を感じないわけではなかったが、なんとかなるだろうとも思った。 とにかく、ここで外に飛び出さなければ一生後悔するような気がしたのだ。 その時点で、わたしにとっての脱出先はブラジルだった。 わたしは、前回のコラムでも触れたブラジルの友人の農園へ、 しばらくの休息をかねて、旅をすることに決めたのだった。
 


〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


◆編集後記

 
  会社をやめた人、あるいは学校をやめるといった決断をしたことのあるひと、 あるいは、これからしようとしているひとというのは、 結構たくさんいるのかもしれません。 でも、いざ自分がそのような転機にさしかかると、 他人事として聞いているときとはちがって、 かなり精神的にきつい瞬間があります。 かならず、それまで自分が継続しようとしてきた力に対して、 葛藤しなければならなくなるのです。



 以前、このコラムで紹介した吉福伸逸氏は、 人生における変化の波を何度もくぐり抜けてきたツワモノですが、 次にどうするかわからない状態でそれまでやっていたことをやめるときは、 勇気とか度胸といったものが必要になると言っていました。 わたしの場合も会社を辞めるときは、 まるで滝壺に向かってジャンプするような心境でした。


〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ 出版のホームページをご覧ください。

http://www.pawanasuta.com/


-------ご意見・ご感想はこちらまで!--------------------------


□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
□関連ウェッブサイト http://www.pawanasuta.com/katayama.html
□発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」  http://www.mag2.com/
□マガジンID 0000058263


---------------------------------------------------------


●無断転載・プリントアウトの配布などはご遠慮ください。
●転載・掲載の際は事前にご連絡ください。


---------------------------------------------------------