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片山邦雄の「紆余曲折」


●バックナンバー 2001/6/03

 


第6号

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      片山邦雄の「紆余曲折」    2001/6/03

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今週の目次

◆連載コラム:第七回   「片道切符の“祝福”」  
 
◆編集後記

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◆連載コラム: 第七回 「片道切符の“祝福”」


「ナイニタールに行くなら、ホテル・レイク・ビュウのオーナーに 会うといいですよ」

 

  二度目のインドに行く直前に知り合ったOさんが、わたしにこう言ったのは、 ちょうど出発の荷造りをしていた前日だった。 Oさんは、一年に三度はインドに出かけるというインド通 で、 五年ほど前にナイニタールという北インドの避暑地を訪れた際、 ホテル・レイク・ビュウのオーナーに車の手配などをお世話になったというのだ。

 

  わたし自身、前回、三年前にインドを訪ねたとき、 ナイニタールに立ち寄ったことがあり、そのときは別 のホテルに泊まったが、 Oさんの話を聞いているうちに、いくつか心ひかれるものがあった。 なんでもそのホテルは湖を一望できる高台にあって、 部屋の中は山小屋風の木造だという。 しかも、レイク・ビュウのオーナー夫妻は、 かつて日本に仕事で三年ほど滞在していたことがあり、 少し日本語も話せるというのだった。

 

  ただ困ったことに、ナイニタールにはたくさんのホテルがあり、 わたしには、そのレイク・ビュウがいったいどこにあるのか見当もつかなかった。 ナイニタールに到着したときは、デリーから延々9時間以上、 乗り合いバスを乗り継いでやってきたので、へとへとに疲れていた。 妻とわたしはレイク・ビュウを探す元気もなく、 その日は、とりあえず前回来たときに泊まったホテルに投宿することに決めた。


 ナイニタールの町は、デリーから北東へ300キロほど離れた、 ヒマラヤ山麓のクマオン丘陵の端に位置する避暑地だ。 標高二千メートル近い高地にあり、すぐ近くの山からは、 遠くに雄大なヒマラヤ山脈の景観を見ることもできる。 町の中心には、まるで波立つことなどないかのような、 静かなナイニタール湖が横たわる。 湖畔には、深緑色の神秘的な湖のまわりをぐるっと囲む急勾配の斜面 に、 湖を見下ろしてたくさんのホテルやレストランが立ち並んでいる。



  わたしが泊まったのは、湖畔のなかほどに位置する イヴリンというホテルだった。 段々状の斜面にホテルの建物が建っているせいか、 フロントから迷路のように長い階段がつづく。 わたしは湖を見下ろす上のほうの階に部屋をとった。 部屋の窓からは、湖の対岸の岸辺に、ちょうど細長い小さな集合寺院が見えた。



「カーン、カーン、カーン……」
 部屋のなかにいると、どこからともなく甲高い音が聞こえてくる。 滞在中、まだ薄暗い夜明け前から、その音で目を覚ますこともあった。 最初のうちは、何の音かわからなかったが、やがて、 その音が対岸に見える小さなハヌマーン寺院から響いてくることに気づいた。 それは、お参りにきた人たちが鳴らす鐘の音だったのだ。



  ナイニタールの郊外には、車で10分ほど離れた丘の上に別のハヌマーン寺院もあった。 ハヌマーンとは風神の息子で、 インドの壮大な叙事詩、『ラーマーヤナ』のなかで大活躍する猿の戦士だ。 ヴィシュヌ神の化身ラーマに献身的に仕える英雄として、 インドの民衆のあいだではハヌマーンジの愛称で広く親しまれている。 この寺院の入口から階段を登ると 、 大きな目のやさしい表情をしたハヌマーンの聖像がある。



  わたしは、はじめてこの寺院に行ったときから、ここがとても気に入った。 庶民的な寺院で誰もが入れるオープンな雰囲気を残しながらも、 非常に高いエネルギーを感じたのだ。 そして、なによりも寺院はクマオン丘陵をぐるっと見渡す、 眺めのいい丘の上に建っていた。 ここから見る夕日はなかなか美しかった。



  この寺院を建てた聖者は1973年にこの世を去っていたが、 寺院のなかには各所にその聖者の写 真が飾られ、いまでもこの寺院には、 彼が住んでいるような感じがした。とくに夕方になると、 寺院には地元の人びとやナイニタールを訪れる人が次から次へとやってきては、 人の流れが途絶えることがなかった。



 ただし、わたしにとっては、ひとつだけ不便なことがあった。 そこはナイニタールの町から歩くにはちょっと遠かったのだ。しかたなく、 行くときはいつもタクシーを往復でチャーターしてから出かけた。 タクシーを外で待たせておくのは少々気がひけたが、 それでも帰りのことを考えると待っていてもらったほうがはるかに楽だった。



  ところが、ある日の午後、ハヌマーン寺院に行こうと思い立ったわたしは、 どういうわけか、タクシーをチャーターすることに気がのらなくなった。タクシーを往復でチャーターすると、運転手を待たせているので、どうしても時間のことが気になってしまうからだった。 その日わたしは、誰にも気兼ねすることなく、 ゆっくりと寺院の雰囲気にひたっていたかったのだ。



  また、帰りの道を行く前から決めておくことにも、 どこかで抵抗を感じはじめていた。確かに、そうすると帰りの心配はなかったが、 まっすぐ帰る以外の選択肢がなくなってしまう。 行った先で起こるかもしれない可能性の芽まで 摘んでしまうような感じがしてしかたなかったのだ。 しばらく、帰りの不安と気楽さを秤にかけた結果 、 その日は、片道だけタクシーを頼んで寺院まで行ってみることにした。



  ハヌマーン寺院に着くと、すぐに太鼓とオルガンを伴奏に、 誰かが聖歌をうたう声が聞こえてきた。 歌声が、丘の上につづく寺院の広い境内に響きわたっている。 思わずわたしは、声のするほうへと行ってみた。



  すると歳の頃は50歳くらいだろうか、 ワイシャツにズボン姿の男性とサリーをまとった女性が、 ハヌマーンの絵が各所に飾られた部屋のなかで一生懸命に聖歌を歌っている。 おそらく、ハヌマーンに対する讃歌なのだろう、 その歌はいつ終わるともなく、ずっと歌いつづけられている。 決して上手というわけではないが、 歌う側の親しみの感情が切々とこめられていて、 それは聴く側にも伝わってきた。



  今日はタクシーを待たせているという気兼ねもなく、 わたしは彼らの後ろに座って、歌声に身も心もひたしていた。 どのくらいの時間がたったことだろう。 祈りの言葉とともに彼らの歌が終わり、わたしは部屋を出た。 そして、寺院に点在する、神々を祀ったほこらをゆっくりとお参りした。 参拝にくるインド人の姿を見様見真似で、 聖像にお香を立て、鐘を鳴らし、床に額をつけて祈る。 午後の薄日が差すなか、周囲を囲む森からの鳥のさえずりを聞きながら、 わたしの心は静かに安らいでいった。



  そして、そろそろ帰るという段になって、 わたしはすっかり忘れていた帰りの問題を思いだした。 寺院の外に運よくタクシーでも停まっていはしないかと思ったが、 門を出てみると、それは無理なことがわかった。 車は一台もなかったのだ。 仕方ない、とにかく町のほうに向かってみようと思った。もしかしたら、 途中でタクシーかバスが通りかかるかもしれないという淡い期待を抱きつつ、 わたしは土埃のひどい道を歩き出した。



  しかし、そのような淡い期待も次第に失望にかわった。町の近くとはいえ、道端には店もなく、ただ埃っぽい道が続くばかりだった。 このまま歩いていくのは大変だなと思い、 とうとう道路脇の石の上に座りこんでしまった。 と、そのとき、後ろから一台の車がかなりのスピードで走ってきた。



  そのとき、わたしは、その車をヒッチハイクしてみようと思った。いや、正確にいうと、 はっきりとその意思があったわけではないのだが、 思わず手を半分ほどあげてしまったのだ。 車はそのまま疾走していく。 そう簡単に停まってくれるはずないよな、と思った瞬間、 かなり先まで通り過ぎたその車が急に減速して停車した。 そして、運転席のドアが開くと、男性が降りてきて後部座席のドアを開け、 大急ぎで積んである荷物をトランクに入れだしたのだ。



 わたしはあわててその車に向かって駆けだした。どうやら、乗せてくれるつもりらしい。 息せき切って車に乗り込んだわたしは、「どうもありがとう」と英語でお礼を言った。 すると運転席のインド人男性が、車を発進させながら後ろをふりむき、 「ニホンノカタデスカ?」と早口の日本語で聞いてきたのだ。 突然の日本語に、わたしはいったい何が起きたのだろうと戸惑った。

「そうですけど……」
「どこのホテルにお泊まりですか?」
「イブリンです」
「わたしのホテルは、イブリンのすぐ近くにあるんですよ」
 彼のその言葉を聞いた瞬間、わたしの心はちょっと緊張した。もしかしたら……。
「ホテルの名前は何ですか?」
「……レイク・ビュウです」



  心のどこかでは気にはなっていたものの、まさかこんなところで、 こんなふうにして会うことになるとは。 ナイニタールに着いてから、わたしは寒々とした天気がつづいていたために、 レイク・ビュウの場所も探さず、そのままにしておいた。 そして、今回の滞在中はホテルのオーナーに会うのは無理かも知れないなとも感じていた。 それが、思いがけずヒッチハイクで会うことができたのだ。



「実は、5年ほど前にあなたのホテルを訪れた知人から、 レイク・ビュウの話を聞いていたのですが、 ホテルの場所がわからずあきらめようと思っていたのです」



  オーナーのシャーさんはわたしの話を興味深そうに聞いてくれると、 これからホテルに来てお茶を飲みませんかと誘ってくれた。 ホテルにお邪魔したわたしは、チャイ(インド式の紅茶)とお菓子をいただき、 ひとしきり日本やインドの話をして楽しい時間を過ごしたのだった。



  それにしても、どうしてあのような偶然のヒッチハイクで シャーさんに会えたのだろう。 偶然にしてはできすぎているような気がするのだ。 もし、偶然ではないとしたら……。誰かが私たちを会わせるために、見えない糸をひいていたとでもいうのか。ともかく、わたしはこのことを忘れないようにしようと思った。 そして、片道切符で行ったハヌマーン寺院からの帰り道、 困り果 ててあげた手に、 シャーさんの車が疾走してきて止まった様子を、 何度も何度も心に刻みつけた。


 
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◆編集後記


 じつは、2週間ほどインドに出かけておりました。 わたしにとっては2度目のインドでしたが、 いくつか面白い出来事があったので、 今回のコラムではそのひとつを書いてみました。


  インドはいま、夏の乾季を迎え、デリーは日中、40度を超える暑さになります。 それでも、街に緑が多いせいか、東京でいえば銀座に当たるような中心街でも、 野生の猿やリスがいたり、トビまで空を飛んでいます。 もちろん、野良牛も、日陰にじっとしていたりして……。


  このメールマガジンも、しばらくは今回のインド旅行のことを中心に 再開したいと思っています。  
 


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●片山が共訳した『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)については、パワナスタ 出版のホームページをご覧ください。

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□発行者 片山邦雄 mailto:kkatayama@gol.com
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